「友達が全員敵に感じる」の相談内容詳細
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いまストレスを感じている「出来事」を事実ベースで抜き出してみてね。
「いつ・どこで・誰が・何を」を意識するのがコツだよ。
- 2週間前、レストランでランチをしている時、友達が「今は彼氏いらない」と言った。
- 「1」についての「感情」を%で表現してみてね。合計で100%にならなくても大丈夫。直感で書いてみよう。
- 悲しみ10% 怒り40% 不安40% 驚き10%
- 「1」について浮かんでいる「考え」を教えてね。
- 現在彼氏と遠距離中で、遊びたい気持ちを抑えきれず浮気している自分。たまに芽生える罪悪感。そんな中、友達が放った今は彼氏いらないという一言。彼氏のいる私に対する嫌味に聞こえる。彼氏と遠距離なんて可哀想、別れればいいのにと言われてる感じがして、怒り。やっぱり今は彼氏なんて作らないで遊んだほうがいいのか?時間を無駄にしているのかもしれないという不安。つい最近まで彼氏ほしいと言っていたその友達、いきなり意見が変わって驚き、なんか裏切られた感じがして悲しい。
- いろんな視点から捉えるために、上記の回答の「別の可能性」を考えてみよう。
- 友達は意見や気持ちが変わりやすいから、今は彼氏いらないけど、またすぐ欲しいってなるかも。あの時の一言はよくある心情の変化の一環だったのかも。でも、その子は彼氏がいらないんだと信じて、私もじゃぁ彼氏いらないって言って、別れたとする、もしかしたらその時にはその子に彼氏ができてるかもしれない、また裏切られたと思う可能性がある。その子の感情に振り回されること自体がおかしい。自分の本心と向き合う必要がある。
また、彼氏がいる私を羨ましく思い、惨めな気持ちを隠すために、意地を張って言った一言かも? - いま専門家に聞いてみたいことは?
- 友達の何気ない言動によく振り回されてしまいます。相手の心情を勘繰ってしまい、攻撃された気持ちになってしまいます。今は友達全員敵に思えてしまい、今後友達がいなくなる・作れなくなるのかと思うと辛いです。友達の心情に振り回されず、自分の軸を持って相手と接するようになるにはどうすれば良いでしょうか。
- 年齢、性別、職業
- 23歳 女性 フリーランス
- 既往歴
- --- 未回答 ---
- 悩みの内容の自由記述
- --- 未回答 ---
自分史はまだありません。
※ プライバシー保護のため、ご質問の一部を編集部で変更している場合がございます。
「友達が全員敵に感じる」への回答
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yamyam さん、ご相談を寄せていただきありがとうございます。精神保健福祉士の中浦です。
友達の言った「今は彼氏いらない」という本来であれば何気ないはずの言葉を、自分の恋愛や現状に対する攻撃のように感じてしまい、怒りや不安や裏切りを感じてしまうということですね。
【聞いてみたいこと】に「友達の心情に振り回されず、自分の軸を持って相手と接するようになるにはどうすれば良いでしょうか」と書かれていたので、①自分の軸を持つ方法と②友達の心情に振り回されない方法の2つに分けて考えていきたいと思います。
罪悪感・投影・自分軸
「今は彼氏いらない」と誰かが言った場合、ごく一般的な返答は「なんで?」とか「そうなんだ」のようになんでもないものになるような気がしますが、なぜ yamyam さんは「自分への攻撃」として捉えてしまったのでしょうか。
ひとつの可能性として、今の yamyam さんの状況は投影と呼ばれるものを表しているかもしれません。投影は、本当は【自分が】自分に対して感じていることなのに、【相手が】自分に対して思っていることのように感じてしまう心理的現象を指します。
今の yamyam さんであれば、相談内容にある「現在彼氏と遠距離中で、遊びたい気持ちを抑えきれず浮気している自分。たまに芽生える罪悪感」の、「たまに芽生える罪悪感」という【自分が】自分を責める気持ちが、「今は彼氏いらない」という友達の一言によって【相手が】自分を責めているように感じてしまっているということです。
私でいえば、手をつけられずにいる書斎の掃除を、妻の「掃除した方が原稿も進むんじゃない?」という親切なアドバイスに対して、「だから今やろうとしてたんだよ」と大人気なくイライラしてしまうことです。【自分が】片付けられない自分をダメだと思っているのに、【相手が】片付けられない私をダメだと思っているように感じてしまい、イライラすることでさらに自分がしなければいけないことから目を背けることになっています。
このように考えると、今の yamyam さんが最初に考えた方が良いことは、彼との関係をご自身で納得できるものにすることなのかもしれません。
ここで私が言いたいのは、「彼と別れる」or「浮気をやめる」と関係性を整理することではなく、あくまで「今の状態に自分で納得できる」ように自分の気持ちを整理するということです。「自分で納得する」というのは、自分の「感情」を理解し、その矛先が本当は「どこに向かっているのか」を見直し、自分で「行動を選択する」ということです。
これはあくまで私の感じることなのですが、 yamyam さんは相談内容にある【感情の%】に悲しみ・怒り・ 不安・驚きなどを書かれていましたが、本当は「寂しい」感情もあるのではないでしょうか。
彼と遠距離で寂しいとか、遠距離でいる寂しさを友達に理解されなくて寂しさとか、そういう色々な寂しさがごちゃごちゃになってしまった結果、誰かに自分を理解してほしいという思いが浮気相手に向かっているということはないでしょうか?
寂しさだけでなく、本当は連絡を頻繁にくれない彼に対して怒っていたり、自分の寂しさを理解しようとしてくれない友達に対して怒ったりしていることはありませんか?
私がこのように考える根拠は(太字にしている理由は後ほど説明します)、非公開になっている自分史に、大好きな友達ができたことによる喜びや、友達と会えなくなった寂しさや、自分を分かってくれることの安心感などを書かれていることが多かったからです。
安心が損なわれている状態は、自分の「寂しさ」や「怒り」などの感情に向き合うことを難しくさせてしまいます。向き合えないことで自分の感情がどんなものなのか、その感情が本当はどこに向けるべきなのかが混乱してしまい、 yamyam さんはどうしていいかわからず困っているのではないかと思うんです。まさに、 yamyam さんも書かれていた「自分の本心と向き合う必要がある」です。
このように考えれば、自分の中にある感情を吟味し、それが本来どこに向けられるべきなのかを知り、ふさわしい人に自分の気持ちを態度や行動で示すことが「自分軸」を回復させることになるはずです。
たとえば、 yamyam さんの「寂しさ」の原因が「彼」なのではあれば、 yamyam さんの自分軸をはっきりさせるのに必要なのは浮気相手や友達ではなく、彼と話をするという「行動」なのかもしれません。逆に、 yamyam さんの「寂しさ」の原因が「友達」なのであれば、自分の今の気持ちを理解してもらうために誰かに相談したりする「行動」が、 yamyam さんの自分軸を回復させることになるのかもしれません。
私は、自分軸というのは自分の態度を表明することだと思っています。表明するためには「何を」「誰に」するかをはっきりさせる必要があります。そして、示した態度を相手が受け入れてくれることが安心を生むのだと思います。
まずは、 yamyam さんの本当の感情がなんなのか、そしてそれはどこに向かっているものなのかをもう一度見直してみてください。
今の自分の感情を知るには、ジャーナリングといって頭に浮かんだ言葉をあまり深く考えずに書き出してみることが役に立つはずです。
以下のページで詳しく書かれているので、参考にしてみてください。
疑うには客観的な根拠が必要
次は、友達の心情に振り回されない方法を考えていきます。今回の相談でいえば、友達の言葉に対して「自分を攻撃しているのでは?」と疑ってしまうことで、自分が傷ついたりすることを避ける方法になるかと思います。
結論からいえば、「疑う根拠をはっきりさせること」が大事じゃないかなと思います。つまり、「なんで友達の言葉を疑うの?」と誰かに聞かれた時に、 yamyam さんが「だって⚪︎⚪︎だから」と【客観的な根拠】を言えるようになるということです。上で、私が「 yamyam さんは実は寂しいのでは?」と推察した時に、「自分史に書かれていた過去の気持ち」を根拠として示したような感じです。
何かを疑ってしまうこと自体は決して悪いことではないと思います。疑うことで危険やリスクを回避することもできます。疑うには想像力が必要ですが、想像力はうまく使えば仕事やアートや遊びでとても役立つものです。
でも、いくら想像力といってもある程度の根拠は必要です。創造的な企画や商品をプレゼンテーションするには、消費者のニーズを知るためにマーケティングという地道で綿密な根拠作りが必要です。「これがアートです」といっても、それが世界の普遍性を表すものでなければただの落書きになりかねません。
私は、 yamyam さんの相談内容からでは友達を疑う根拠を見つけることはできませんでした。
・彼氏のいる私に対する嫌味に聞こえる
・彼氏と遠距離なんて可哀想、別れればいいのにと言われてる感じがする
・なんか裏切られた感じがして悲しいこれらの疑いは、 yamyam さんには友達と一緒にいる中で根拠を持って感じられることがあるのかもしれません。
でも、他人がある程度納得できるだけの根拠がなければ、嫌味を言ってくる友達を思い切って責めることもできなければ、友達に疑われて傷ついている自分を自分で慰めることもしにくいし、誰かに相談しても理解してもらうのは難しいかもしれません。
つまり、疑う根拠がなければ自分の疑いを悶々と持ち続けるしかできないということです。
根拠の見つけ方はいくつかあると思いますが、相手の直接的な言動や間接的な表情・態度を情報源にすると良いと思います。
たとえば「彼氏のいる私に対する嫌味」だったら、「彼氏がいるのって大変だね」など言われたのであれば、「嫌味」として疑う根拠になるかもしれません。ただし、「大変だね」だけだと同情の可能性もあります。その場合は、たとえば親身な表情をしていれば「同情」になるし、半分笑っているような感じであれば「哀れみ」になるかもしれません。
どちらも共通していることは、疑ってしまうことに対して目にみえる具体的な相手の情報がある、ということです。目に見えるということは yamyam さんの思い込みではなく根拠になり得る可能性があります。
もうひとつの根拠の見つけ方は、友達に「直接聞く」ということです。
「何でそんなこと言ったの?前は彼氏ほしいって言ってからちょっとびっくりしたちゃった」と伝えてもいいですし、「もしかして私と彼のことが影響している?」と聞いても、差し当たって友人関係に問題が起きるようなことはないように感じます。
繰り返しになりますが、大事なのは目に見える客観的な情報です。 yamyam さんが友達を疑ってしまった時は、その時の状況から自分が疑うことになった根拠を見つけようとしてみてください。
根拠が見つかれば、驚いたりショックを受けたりすることはあるかもしれませんが、少なくとも友達を疑うことはなくなるはずです。疑うことがなくなれば、少なくとも友達の心情に振り回されることは減っていくはずです。
逆に、友達を疑う根拠がどうしても見つけられない時は、 yamyam さんの投影によるに思い違いなのかもしれません。思い違いであるならば、友達を信じようとすることが必要だし、信じようと努力する姿勢が友達との関係性をより良いものにし、結果的に疑ってしまうことも少なくなるはずです。
今回 yamyam さんに伝えたことをまとめると、友達の言葉を悪意のあるものとして捉えてしまうのは、 yamyam さんの罪悪感による投影かもしれないということです。また、誰かを疑ってしまった時は、疑うことになった理由に対して目に見える根拠を見つけるということです。
yamyam さんがご自身の本当の苦しみや求めているものを知ることができて、それを理解してくれる誰かと安心できる関係を築けることを願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。