みんなは、どんなときに「幸せだな〜」と感じる?
好きな人といるとき。
美味しいものを食べてるとき。
何かを成し遂げたとき。
きっと色々あるよね。
多くの人は「幸せになりたい」と思い、幸せになるために働いたり、誰かと一緒にいたりすると思う。
でも実は、自分が幸せになることに怖くなったりブレーキをかけてしまう心理現象に苦しんでしまうこともあるんだ。
今回はそんな「幸せ恐怖症」と呼ばれる心理の特徴や原因、克服法について説明し、「人の幸せ」についても一緒に考えていくよ。
目次
幸せ恐怖症とは?
幸せ恐怖症は一般的に「幸せに対する、もしくは幸せになることに対する不合理な強い恐怖感」と言われているよ。
たとえば「自分は幸せになる資格はない」とか「幸せは不幸の前触れのように感じる」など想像してしまい、幸せになる状況を回避しようとする状態を指すんだ。
ただ、この恐怖症に対する明確な定義はないんだ。精神疾患や発達障害の診断基準にされるDSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル)にも同恐怖症は記載されていないから、病気や疾患ではないことには注意が必要だよ。
ただし、病気や疾患ではないものの、幸せ恐怖症は不安障害の1つと考える専門家もいるんだ。また、うつ病との類似性も指摘されていることから、ただの思い込みや考え方の癖というものだけでもないんだよ。
幸せが怖いのは「自分の中の一部に何かが起きている」状態だから、優しく丁寧にケアしてあげることが重要なんだ。
幸せ恐怖症な人の特徴
幸せに対して恐怖を感じる人たちにはいくつか共通する特徴があるよ。幸せ恐怖症とこれらの特徴が必ずリンクするわけではないけど、関連性があるということはそこになにかしらのヒントがあるということでもあるんだ。
自己肯定感が低い
自己肯定感は「ありのままの自分で良い」と思える感覚だよ。自己肯定感が低いと自分のことを否定的に捉えやすくなるから、幸せを求める自分にブレーキをかけたり、幸せな自分を怠けものとダメ出ししたりしちゃうんだ。
自己肯定感がないと感じる人は、こっちのページで詳しく説明しているから見てみてね。
完璧主義者
完璧主義者は自分に要求するレベルが高く、「こんなことで幸せを感じてはいてはダメだ!」と自分に厳しいため、幸せを感じることから遠ざかっていく場合があるよ。
完璧主義は仕事が丁寧だったり成長意欲が高いというような優れた特徴でもあるけど、本人の努力と成長が他者貢献のためだけになってしまうことも多く、自分の幸せをないがしろにしてしまう傾向もあるんだ。
完璧主義をやめたい人は、こっちのページで簡単なワーク付きで対策を紹介しているよ。
予言の自己成就
幸せが怖い人は、未来に対するネガティブなイメージが強いため、視点が今よりも先々へ向いてしまいやすいんだ。
これは過去に起きた強い喪失体験などによって「あらゆる良いこともいつかは終わってしまう」と拡大解釈していることが原因なんだけど、実は「悪いことが起きる」という想像が実際に良くない未来を作っている可能性もあるんだ。
アメリカの心理学者であるR・マートンが提唱した自己成就予言は、「根拠のない思い込みであっても、思い込んでいるうちに本当にそうなってしまうことがある」という現象を指す心理学用語だよ。
たとえば朝の占いの結果が悪かった日に、ちょっと嫌なことがあると「やっぱり今日は悪い日だった」と占いで書かれたことに視点が向くことで、実際に今日という日が悪い一日になることを表しているんだ。
つまり、幸せは続かないという自分の予言が未来を本当に悪くしてしまい、その体験がさらに未来へのイメージをネガティブにする…という負のパターンが形成されてしまうということなんだ。
過去や未来に心を囚われて不安になるときは、「今ここ」に意識を集中させるマインドフルネスが有効だよ。
平和を愛する優れた人格者
幸せが怖い人は、自分が幸せになることよりもみんなが幸せになることを望んでいる場合もあるよ。
たとえば、SNSに自分が幸せに見えるような投稿をすることを考えたときに、それを見た人が気分を害する想像ができたり、世界には自分の幸せを享受できない立場の人たちがたくさんいることを理解している人は、自分だけが幸せになることに躊躇しがちなんだ。
大きな視点で世界を見れる人は、世界が平和であることの方が価値あるものと感じ、自分の幸せは取るに足りないものと考える傾向があるんだね。
謙虚で人の気持ちを想像できる行動は、他人からの嫉妬も避けることができるから、幸せが怖い人は自分では幸せを感じられなくても、周りの人に幸せを与えている可能性もあるんだ。
嫉妬に悩んでいる人は、こっちのページで詳しく説明しているから見てみてね。
幸せ恐怖症になる原因
幸せになることに恐怖を感じる…なんでそんな切ない思いを持ってしまうんだろう?
病気や疾患ではないから明確に「これが原因です」と言えるものはないんだけど、考えられる可能性についていくつか紹介するね。
罪悪感
幸せになることへの罪悪感が、幸せが怖い人に影響している場合があるよ。
この場合の罪悪感には「自分は幸せになる価値がない」ことと「自分が幸せになることは誰かを裏切ることになる」の2種類があるんだ。
①自分は幸せになる価値がない
虐待やネグレクトなど家庭や生育環境に問題がある場合に、人との肯定的な関わりがないことから健全な自己肯定感が育たず、「自分は幸せになる資格がない」という思いが幸せ恐怖症になってしまう場合があるよ。
こういうふうに考える人は、幸せを自分の行いや努力への対価や報酬だと考える傾向があるんだ。
でも、幸せは頑張ったことに対するご褒美なんかじゃないし、日本国憲法にもちゃんと幸福追求権として規定されているから、安心して幸せになっていいんだよ。
商売や学業など組織やコミュニティレベルでは努力と成功が交換条件になる場合もあるし、やるべきことをせず主張ばかりするのは反感を買うことになるけど、人間の生存レベルでは義務と権利は交換条件ではないんだ。
②自分が幸せになることは誰かを裏切ることになる
両親や兄弟など一緒に過ごしてきた人たちの中に幸せでない人がいる場合、自分が幸せになることはその人たちへの裏切りになるという思いが働くことがあるよ。
たとえば、夫から虐待を受けてきた母親や、障害のある兄妹がいる場合や、裕福でない暮らしをしてきた両親を見てきた人などによく見られるんだ。
この場合、養育者や家族との心理的距離が近すぎることによる自他境界があいまいになっていると考えられるよ。
自他境界は「自分と他人は違う存在だと区別する境界線」を指す心理学用語だけど、自他境界の機能が働いていないと「何が自分の責任で、何が自分の責任でないか」という区別があいまいになり、自分の気持ちや行動を主体的に決めにくくなるんだ。
近親者が不幸であったことと自分が幸せになることには関連がないし、ましてや「自分が幸せになったらその人たちを不幸にする」という因果関係は成立しないよね。つまり、幸せになることに罪悪感を感じる人は、誰が幸せになるかということに対して境界があいまいになっていると言えるんだ。
自他境界についてはこっちのページを見てみてね。
喪失体験
過去に大きな喪失体験をした場合も、幸せな状況がトリガーになり「また失うぞ」と警告を発している場合があるよ。
危険を知らせる警報は気がつかないうちに人が学習してしまったもので、条件反射として現れるからコントロールするのが厄介なんだ。
パブロフの犬という有名な実験では、犬にエサを与える前にベルを鳴らすことを続けると、犬はベルの音を聞くだけでよだれが出るようになったんだって。
これはある刺激とその結果が繰り返されることで、そのうち刺激だけで体が反応するようになるということなんだ。人間でいえば梅干しを見ただけで口の中に唾が出てくるみたいなことだよ。
同じように、過去に大好きな人を失ったり悲しみや不幸に一気に落ちるような経験をした人が、幸せを感じると同時に恐怖を抱くのは、学習された普通の反応とも言えるんだ。
自己防衛
大きな失敗や喪失の体験があると「もう2度と同じ経験はしたくない」と思うもの。これがより心の傷が深くなると「失わないためには最初から持たなければいい」という考え方になってしまうんだ。
つまり、幸せを得るよりも傷つかないことを選択せざるを得ないほど、心が怯えているとも言えるんだ。
そんな人にとっては、幸せから離れようとするのは自分の心を守るために必要な正当防衛なんだね。
知らないものへの恐怖
幸せがどういうものかわからない人、幸せを体験したことがない人も、幸せに対して恐怖を感じることがあるよ。
たとえば、初めて絶叫マシンに乗るときに最初は「怖い」という気持ちかもしれないけど、乗ってみて興奮した経験があれば、次に乗るときは「楽しみ」に変わるよね。
ジェットコースターと同じで、幸せも経験したことがなければ未知の体験だから、怖いと感じても当然なんだ。
この場合、幸せを怖いと感じることよりも、これまでに幸せを感じたことがないことの方が精神衛生的には問題になってくるよ。
自分の感情を感じないという人は、こっちのページで詳しく説明しているからチェックしてみてね。
幸せと仲良くなる4つのレッスン
「美味しいものが食べられて幸せ」
「あなたがいるだけで幸せ」
「レアグッズが当たって幸せ」
色々な幸せがあるけど、そもそも幸せって何なんだろう。
幸せに対して恐怖心があるのに、いきなりそれを受け入れるのはとても勇気のいることだよね。まずは怖がっている自分を認めてあげるのが大事だよ。そして、少しずつ幸せを理解して、幸せとちょっとずつ仲良くなることから始めれば大丈夫。
ここでは、幸せは怖いものでもなければ、絶対に手に入れなくちゃいけないものでもないし、実は自分の幸せは他人の幸せとつながっている、ということを一緒に見ていくよ。
レッスン①東洋と西洋の幸福研究
まずは文化による幸せの違いについて見てみよう。
京都大学の内田教授によると、北米の幸福は「自分の能力や環境要因などを可能な限り最大化した状態で得られるもの」として定義されると言っているよ。つまり北米では、若く健康で、高い教育を受け、収入が多く、人付き合いがうまく、良い仕事を持ち、自尊心の高い人物が幸福な人物像ということなんだ。
一方、その時々で変化し、良いこともあれば悪いことも隣り合わせになるという人生観を反映させたものが日本の「バランス志向的幸福像」であるということを指摘しているよ。
日本のバランス志向的幸福について京都大学とミシガン大学が共同研究しているんだけど、日米で幸せの意味についてアンケートしたところ、アメリカでは97.4%がポジティブな記述だったのに対し、日本では「妬まれる」や「成長しなくなる」のようなネガティブな記述が3割近くもあったんだって。
つまり、日本人は幸せな状態を個人の成功や快楽としてではなく、他人や社会との関連性の中でバランスが取れている状態だと考え、その幸せな状態に甘んじてもいけないと考えている可能性があるんだ。
レッスン②日本人は不幸せなの?
日本は自殺する人の数が多く、国連が実施した世界幸福度ランキングでも56位と毎年低い順位にいるんだ。
内閣府が行った幸せに関するアンケートでも、「あなたは今どれぐらい幸福ですか」という問いの平均は6.5点(10点満点中)だったよ。
でも、実はこのアンケートには続きがあって、理想の幸福度を同じ10点満点で尋ねたところ、驚くことに平均は7点だったんだって。つまり、相対的に今の幸福度は高くないかもしれないけど、理想と比べて今が不幸というわけでもないことがこのアンケートからわかったんだ。
社会的な関係性の中で幸せを築こうとした場合、個人の成功や快楽は世間からの波風を受けやすい可能性があるよね。長く幸せな状態を保つためには10点満点の幸せを求めるより、「小さな幸せ(=7点くらい)を維持する方が良い」というのが、日本人的な幸せということなのかもしれないんだ。
レッスン③幸せのカタチ
人によって幸せの形が違うのであれば、誰がどれだけ幸せかということを測ることはできるんだろうか。
人の幸せを測るために、国際社会はGDP(国内総生産)という指標を活用しているよ。GDPは簡単にいうと国内で生産や提供された製品やサービスの利益を指すんだけど、GDPが高い国は豊かで生活水準が高いと評価されるんだ。ただし、人間の幸福は経済だけでは測れないし、利益の恩恵を受けられない人たちの問題などを指摘する専門家の意見も多くあるんだよ。
一方、世界一幸せな国と言われるブータンは、GDPではなくGNH(国民総幸福量)という考え方を推進しているよ。GNHは経済成長を重視する姿勢を見直し、伝統的な社会・文化や民意、環境にも配慮した「国民の幸福」の実現を目指す考え方なんだ。最近ネットやテレビでよく聞くSDGs(持続可能な開発目標)の先駆けのようなものかもしれないね。
言い換えると、欧米的な個人的な幸せと経済成長を測るのがGDPで、福祉的な考え方で東洋的な社会とのつながりを重視する指標がGNHとも言えるんだ。
ここで大事なのは、お金はあった方が幸せなのか、友達は多い方が幸せなのか、といった唯一無二の幸せを決めようとしない、ということだよ。幸せには最低限の衣食住が大事だし、買いたいものがあるときはお金があった方が幸せだよね。逆に、心が弱っているときはお金よりも支えてくれる人の存在の方が身に沁みるように、幸せは自分のその時の状況で変わるということなんだ。
つまり、幸せになるためには「今自分に必要なもの・求めているものを知る」ことが欠かせないんだよ。
レッスン④幸せは伝染するもの
幸せは妬みや反感を持たれる可能性があることを話したけど、一人の幸せが伝染して周りの人を幸せにすることもあるんだよ。
発達心理学者のアンリ・ワロンは、母親が赤ちゃんに微笑みかけると、まだ自分の顔も鏡で見たことのない生後1−2ヶ月の赤ちゃんでも、同じように笑顔になることに着目し研究したんだ。
同氏は、人間には人と感情を交流する力が生まれながらにプログラミングされていると指摘しているんだよ。そして、研究の結論として「お互いに喜び合うことが人間の最大の喜びであり、これが人間的なコミュニケーションの根源である」とまとめているんだ。
もちろん、自分が幸せになることを妬む人もいるかもしれないけど、同時にその幸せを喜んでくれる人がいるのも事実だよね。自分の幸せを喜んでくれる人と気持ちを分かち合うことで、さらに自分の喜びや幸せを大きくしたり長くしてくれるということなんだ。
幸せ恐怖症を克服する方法
実際に幸せに対する恐怖感を減らしていく方法を紹介するよ。すぐにできるものから継続が必要なものまであるけど、自分がやりやすそう感じるものから試してくれると嬉しいな。
いつもと違うことをする
幸せが怖い人は幸せだけでなく変化自体に苦手意識がある話をしたよね。人にはコンフォートゾーンといって、快適でストレスのない安全な空間が必要である一方、欲しいものを手に入れたり自分を変えるためには、そこから出る必要があるんだ。
コンフォートゾーンを出ることでいつもと違うパターンが行動や思考レベルで起こり、その刺激が新しい自分を作る材料になるんだ。
つまり、同じ食材からは同じような食事しか作れないし、別のものを食べたければこれまでと違う食材を集める必要があるということだよ。
いきなり自分を変えることは勇気がいるかもしれないけど、まずはコンフォートゾーンを出ることで、幸せに対する苦手意識を変えるための材料探しができるんだ。
といってもいきなり危険な状況に身を置くわけでもないし、勇気を振り絞らなきゃいけないことをする必要なんてないから安心してね。
たとえば、通勤時にいつもと違う改札口を使うとか、ランチのとき今までいた端っこの席から一列前にしてみるとか、誰にも気づかれずに「自分だけがいつもと違うことをしているのがわかる」行動から始めるのがおすすめだよ。
いつもと違うことができたら、普段と違うことによる居心地の悪さや、いつもと違う景色で感じたことなど、自分の中に湧き起こる感情や考えに注意を向けてみてね。
認知行動療法
幸せ恐怖症は「幸せに対する不合理な恐怖感」だけど、不合理は認知的な歪みがあるという意味でもあるんだ。
「幸せのあとは不幸が待っている」という信念が定着してしまった人には、認知行動療法のアプローチが効果的だよ。
認知行動療法は認知の歪みを整え、行動を変えることでストレスを減らし気持ちのコントロールを目指す、心理療法の技法の一つだよ。
まずは、自分の恐怖感が不合理で辻褄が合わないことに思考レベルで気づくために、過去を振り返り「本当に幸せと不幸は連続しているのか」ということを検討してみよう。
同時に、幸せに感じた出来事や悲しかったことなどを日記にすることで、過去ではなくリアルタイムに幸せと不幸が連続しないことを体感できれば、感情レベルで認知的な歪みが修正され始めるんだ。
自分以外のことを考える
自分を知ることは主体的で健全な人生を生きるために欠かせないけど、世界一幸せな人と言われているマシュー・リチャード氏は、自分と他者を考えるバランスが重要だと話しているよ。
ちなみに同氏は、ウィスコンシン大学の12年間の研究において、瞑想しているときの脳波の状態が、これまで神経科学領域で実験されたものの中でもっともリラックスしていて、ネガティブな情報を処理し幸せを受け取るキャパシティが異常なほど大きかったんだって。
同氏によると、自分が幸せになることを考えているときは、世界を敵・ライバルと考えていたり、自分が幸せになるために搾取する対象として見てしまうことがあると言っているよ。
たとえば、SNSでいいね!をもらうために他の人より目立ち共感を得ようとすることが、意識せずとも周囲をライバルにしてしまうんだ。また、たくさんの利益を得るためには、大きな工場を持ちたくさんの従業員を雇うことが必要だけど、これは土地と人間を幸せのために使うべき材料として見るということになるんだね。
敵やライバルに囲まれて、何をどう使って幸せになろうか、という世界で生きることがストレスであり不幸の始まりであると説明する同氏は、世界が自分の味方であると感じられることが大事だと話しているんだ。
自分のことを考える時間と、自分以外の誰かが幸せになるためにできることを考える時間の両方を、時と場合に合わせて使い分けるのが大切なんだね。
誰かのために幸せになる【ワーク】
幸せは伝染するという話はしたよね。
ここでは、自分が幸せになることで喜んでくれそうな人のことを考えてみよう。
喜んでくれそうな人が見つからない場合は、他の人のコメントを眺めるだけでも大丈夫だよ。だって、幸せは伝染するからね。
あなたが幸せになることを喜んでくれるのはどんな人?
なぜその人は喜んでくれると思う?
幸せ恐怖症まとめ
目の前にある幸せは無くしちゃいけないものでもないし、どうせ変化するのであれば、今ある幸せを少しくらい満喫したってバチは当たらないよ。
そして、自分が笑顔になることを妬む人のためではなく、喜んでくれる人のために人生を生きたっていいんだ。
幸せにならなければいけない。
幸せを怖いと思ってはいけない。
誰かを幸せにしなければいけない。
「いけない」ことばかり気にしがちな世の中かもしれないけど、「嬉しかったらただ素直に笑う」だけで本当はいいのかもしれないね。