「辛い経験もしてないのに無理をせず自分らしい生き方をしていいのかわかりません」の相談内容詳細
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いまストレスを感じている「出来事」を事実ベースで抜き出してみてね。
「いつ・どこで・誰が・何を」を意識するのがコツだよ。
- 辛い経験もないのに自分らしい生き方を一人前に求めてしまうことに後ろめたさがあります。
人生の先輩たちと話したりネットで調べたりすると、「若い頃に働きすぎて体を壊してから無理をしないようになった」、「20代の頃に人間関係で傷ついてから自分を大事にするようになった」といったことをよく耳にします。若いうちに大変なことを経験して成長していくという考えは私にも身に覚えがあるし、納得できます。
しかし、今の私は特に辛い経験もしないまま自分を大事に無理をせず生きたいと思っている気がします。
例えば私は今のところ恋愛経験がなく恋愛感情が分からないので、友達との関係性を大事にしたいと思っています。そもそも経験がないので恋愛で傷ついたこともドン底の気持ちになったこともありません。
仕事も同様に、先輩の若い頃に比べたら今の私の労働環境はかなり良くなっていると思いますが、それでも体力・精神的に無理をせず、プライベートも仕事のバランスをもっと良くしたいと思っています。
自分らしく生きたいという前向きな気持ちを持っているつもりでいるけれど、本当は経験値が低い自分が恥ずかしいから、傷つきたくないから、「自分らしく生きる」という言葉に甘えて傷つく経験から自分を遠ざけて守っているだけな気がしてなりません。
恋愛に関しては、経験がないなら試してみようとマッチングアプリを始めましたが、興味を持てず、興味を持てないことに罪悪感が湧きました。経験すれば成長できるかと思いましたが、身の入らない経験からはあまり得るものがなく辛さの方が大きかったです。
そんなこともあり、結局今の私は無理しないといけなそうなこと、辛そうなことに手を出す勇気と元気はなく、傷つくことを回避する生き方を「自分らしい生き方」ということにしています。
甘えたくないけど無理もしたくない、この葛藤から抜け出したいです。 - 「1」についての「感情」を%で表現してみてね。合計で100%にならなくても大丈夫。直感で書いてみよう。
- 葛藤100% 情けなさ150% モヤモヤ80% 閉塞感70%焦り80%
- 「1」について浮かんでいる「考え」を教えてね。
- 周りの目を気にして、「たいして苦労してないのに何を言ってるんだ」と思われるのではないかと常にビクビクしているので、甘えてると思われたくない気持ちが強い
おそらく私個人の本心としては無理しなくていいならぜんぜん無理したくないしマイペースに生きたいけれど、若い頃からそんな自分勝手な生き方をしてたら中身の薄い大人になって誰からも信頼されなくなるんじゃないかと思う。
過去の経験から自分の軸になる価値観が生まれたり成長できたことも多々あるから、経験せず想像で言ってることには根拠がないと私自身が強く思い込んでる節がある
若いうちにこんなことをしていたという話をされると、したことがない自分に焦る
若い頃は体力があるから無理できると言われるけど今の自分に体力があるとは思えない - いろんな視点から捉えるために、上記の回答の「別の可能性」を考えてみよう。
- 傷つかずに自分らしい心地よい生き方を見つけられるならそれに越したことはないのかもしれない
辛くなくても成長はできるかもしれない
社会人になってから「若いうちに〜したほうがいい」みたいな話をされすぎて単純に疲れてるだけかもしれない
「若いうちに〜」という話は年上の人の口癖のようなものでまにうけなくてもいいかもしれない
時間が経って振り返ったら意外と今も苦労してるのかもしれない
自分を守るのって悪いことじゃないのかもしれない - いま専門家に聞いてみたいことは?
- 辛い経験がなくても無理をせず自分らしく生きようとしていいのでしょうか
辛い経験をした方がいいなら、逃げ出さない、嫌にならない心構えはあるのでしょうか
そもそも甘えるって何なんでしょうか
傷つきたくない気持ちが大きすぎていつも回避してしまうのですが、どうすればこの怖さに立ち向かえるのですか - 年齢、性別、職業
- 24歳 女性 会社員
- 既往歴
- なし
- 悩みの内容の自由記述
- この悩みに限らず、自分の身に起こった事そのものに悩むより、それを受けて自分で考えたことや価値観について悩むパターンが多いなと思いました。いつも脳みそが過剰に動いてる気がするのでもっと思考をシンプルにしたいです。
自分史はまだありません。
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「辛い経験もしてないのに無理をせず自分らしい生き方をしていいのかわかりません」への回答
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だや さん、ご相談を寄せていただきありがとうございます。精神保健福祉士の中浦です。
「辛い経験をしたことがないのに自分らしい生き方を求めていいのか」というご相談ですね。
哲学に通ずるような根源的で深い悩みです。私からすれば、そんな難しいことへの答えを模索している段階で「もうすでに辛い経験をされているのでは?」と思ってしまいますが、 だや さんの中では「自分は辛いことを回避している」と感じられるということですので、もう少し別の視点で一緒に悩んでみたいと思います。
おそらくですが、「何を苦労とするかは人それぞれ」や「成長の裏には苦労があるかもしれないけど、苦労すれば必ず成長するわけではない」というのが、 だや さんの悩みに対する世間でいう正論的な回答なのではないかなと思います。
相談内容の【考えとは別の可能性】のところにも、「辛くなくても成長はできるかもしれない」や「『若いうちに〜』という話は年上の人の口癖のようなもの(略)」や「(略)時間が経って振り返ったら意外と今も苦労してるのかもしれない」と書かれていました。これらは だや さんが「苦労をすればいいってもんじゃない」というのを頭では理解している表れだと感じます。
頭では理解しているけど、世間でいう正論では100%納得できない、というのが今の だや さんなのではないかと推察しています。
ずばり、私からの提案は「世界は他人の経験を蓄積して学び続けている」という視点で考えてみることです。
これからお話することが、 だや さんも薄々気づいている「人と同じように苦労しなくてもいいのかも」という考えを勇気づけるものになったら嬉しいです。
世界は他人の経験を蓄積して学び続けている
だや さんと一緒に考えてみたい視点は、「人は自分の経験だけでなく他人の経験からも学習できる」ということです。
当たり前のように聞こえるかもしれませんが、相談内容に書かれていた「苦労することで本当に大事なことを知った」という他人の苦労話を聞いて、「よし、じゃあ自分も苦労して本当に大事なものを知ろう」と考えるのは、「学習」ではなく他者の経験をなぞるだけです。
科学は他人によって行われた研究を批判的に捉えながら、正しい部分は取り入れ、誤りだと思う部分は実験などによって訂正を重ねることで、世界の真実に近づこうとする活動です。
「苦労しなければ大事なことは分からない」という他人の経験を科学的に生かすのであれば、「苦労」という経験が人の何を変えるのかということを検討し、そのエッセンスを取り出してみることが「学習」なのではないでしょうか。
「大事なことは苦労しなければ分からない。だから苦労をしよう」であれば、「暴力の怖さは体験した者でなければ分からない。じゃあ暴力を体験しよう」と同じになりかねません。
科学や暴力だけではありません。気になっていたレストランの味を友人が酷評していたら、わざわざその味を自分で確かめなくても「きっと美味しくないんだな」と学習して別のレストランに行くことができます。
そうやって人は他人の経験から学習し、世界は少しずつ良い方向に変化していこうとしているのだと思います。もちろん、学習によって新たな問題を発見することもあるので、世界が右肩上がりに良くなっているわけではないと思いますが…。
だや さんはミームという言葉をご存知でしょうか? インターネットで拡散されるユーモアのあるコンテンツも同じ言葉で呼ばれますが、本来は以下の意味を持つ概念です。
ミーム(meme)とは、人類の文化を進化させる遺伝子以外の遺伝情報であり、例えば習慣や技能、物語といった人から人へコピーされる様々な情報を意味する科学用語である。
簡単にいうと、人類が進化してきたのは遺伝子という生物学的な情報だけでなく、個人が生きた物語という情報も、世界の進化に役立ってきたということです。
私はこの言葉をある精神科医から教えてもらいました。当時、私は子どもを授かることを諦め、その代わりに多くの人の役に立てるようになるために、海外に行き貴重な体験や学びをしている最中でした。その時その先生がメールをくれてミームを(先生は「情報子」という言葉で)教えてくれました。
先生は「中浦くんは子どもを産まなかったかもしれない。でも、今君がしている生き方自体がきっと世界をより良くするのに役立つんだよ」と言ってくれました。
子どもができないことで落ち込んでいた妻と私には、先生からの言葉がどれだけ慰めになったか計り知れません。そして、先生の言葉を聞くことで「人と同じ経験や幸せを求めなくてもいい」ということに心から納得することができました。
私は、 だや さんの悩みにも同じことが言えるのではないかなと思うんです。どう生きるかは人それぞれだし、苦労して幸せになる人もいれば、大きな苦労をせずに幸せを感じながら生きる人もいます。幸せになるだけが人生ではないし、成長すればいいってものでもありません。
多くの人の経験や物語に触れて、同じことをしなくてもそのエッセンスを だや さんが学習し、自分が望むものに生かせる部分は活かし、必要ないものは手放し、「それは違うんじゃない?」と疑問に思ったことがあれば、自分も同じ体験をして確かめてみればいいのではないでしょうか。
そして、 だや さんは先人の経験から学習するだけでなく、未来の人たちが学習できるような自分だけのミームを作ることもできるんです。ただの「苦労話」ではない だや さんだけの物語です。
寄せていただいた今回の悩みは多くの人が目にします。 だや さんの考えや悩みに触れることで、同じように「自分は頑張れていない」とか「甘えてるのかも」と不安に感じている人たちの励ましや学習になるはずです。
そう考えれば、 だや さんが自分に固有の悩みや考えなどに真摯に向き合い、こうして言葉にしたり行動に移すことの方が、無理して他人と同じような苦労をするよりもはるかに だや さんらしい姿だし価値あることではないでしょうか。
問題になるのは「自分がしたいこと」を避けてしまう時だけ
ここまでは、成長するために無理して苦労を経験する必要はなく、苦労して大事なことを知った人の物語からエッセンスだけを取り出して、自分が望む生き方の役に立てればいいということを説明してきました。
少しでも「大事なのは苦労ではなく何が自分の人生を自分らしくするのか」ということであることを感じていただけていたら嬉しいです。
ただし、自分で経験しなければいけないものが一つだけあります。それは「自分がしたい」と思っていることです。
自分の役に立ちそうなことや知っておいた方が良さそうなことは、誰かの経験を知ることで得られるものもあります。でも、「自分がしたい」という欲求は誰かの経験で埋めることはできないんです。
私は、 だや さんが今の自分の生き方に疑問を感じてしまうのは、ここが欠けていることが理由なのではないかなと思うんです。
つまり、「成長するための苦労」を避けているのではなく、失敗や傷つくことを恐れて「自分がしたいこと」を避けている、ということです。
どこのレストランが美味しいかは他人の経験から知ることができるけど、自分が「食べたい」と思ったものは、他人に「美味しかったよ」と言われても満たされないのと同じです。
「自分がしたい」という欲求は決して他人の経験から学習して満たすことはできないんです。
相談内容には だや さんがしたいと思っていることの記述はありませんでしたが、今なにか本当はしたいと思っているけどできずにいることはありませんか? 成長するために人と同じ苦労をするのと、自分がしたいと思うことをするのでは、どっちが自分の人生を豊かにすると思いますか?
だや さんが注意を向けるべきなのは、きっと「成長するために苦労すること」ではなく「自分のしたいことをする」ということなのだと思います。
やった方がいいこととやりたいことを明確にする
最後に、相談内容に書かれていた「(傷つくことに対して)どうすればこの怖さに立ち向かえるのですか」ということについて考えてみましょう。
結論になりますが、前述した だや さんが回避しているものが「やった方がいい」と考えているものなのか、それとも「自分がしたい」と思っているものなのかを、 だや さんがはっきり自覚することが役に立つと思います。
このように考える理由は、もうすでにご自身で相談内容に書かれています。
「身の入らない経験からはあまり得るものがなく辛さの方が大きかったです」
この言葉は、必要だという思いから関心のないマッチングアプリを使ってみたけど、得るものもなければ辛いことの方が多かったという気持ちを意味していると思います。
だや さんはこの経験のエッセンスだけを取り出して、今後に生かせばいいのだと思います。この経験でのエッセンスは、もちろん「身の入らない経験から得るものはない」ですよね。
もうすでに だや さんは、自分の望みではないことに関する苦労からは得るものがないことを経験しているんです。それでも「いや、まだ苦労しなければいけないんだ」と考えるのは、科学でいえば太陽が東から昇るという事実を信じないことだし、レストランでいえば一度行って美味しくなかったのに「今度行ったら美味しいかも」と二度行くようなものです。
だや さんはもしかしたら世間一般の人がいう苦労はしていないかもしれません。でも、たくさん自分や人生のことを考えることで、すでに多くのことを学習しているんです。もう少し自分の学習から得たことを信じてあげてもよいのではないでしょうか。
「必要と思ったからやってみたけど得るものはなかった」という理解が増えれば、 だや さんが必要のないことに注ぐ時間と労力を削減できるようになるはずです。
削減して残った時間と労力はどうすればいいのか。もちろん、「自分のしたいこと」に向けてあげてください。役に立ちそうなことではありません。「やってみたい」と思っていることです。
もし今「自分のしたいこと」がなさそうだったら、相談内容に「大事にしたい」と書かれていた「友達との関係性」や「プライベートと仕事とのバランス」に目を向けてあげると良いと思います。友達との関係性を大事にするといってもやり方はさまざまです。自分から休日に声をかけてお茶をすることもいいですし、一緒に何かアクティビティをするのも、二人の関係性を大事にすることになると思います。
プライベートと仕事のバランスを大事にするためには、どんなことができたら良さそうですか?
もしかしたら、こうやって「自分が大事にしたい」と思っていることを実行するために「何をすればいいのか」を考えることの方が、世間一般的な苦労をするよりも大変なときもあるかもしれません。「何をすればいいか」を自分で考えるのは簡単なことではありません。
でも、それこそが だや さんが「した方がいいのかな」と感じている「苦労」の体験になるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、「自分がしたいこと」は誰からの経験でも埋めることはできないものです。そして、「自分がしたいことをした」という経験こそが、 だや さんのミームとなって未来の人たちが学習できる情報になるのだと思います。
今回 だや さんにお伝えしたことをまとめると以下になります。
①人は他人の経験からエッセンスだけを取り込んで学習することができる
②ただし「自分がしたい」という欲求は他人の経験で埋めることはできない
③身の入らない経験に注ぐ時間と労力を削減して、自分のしたいことに向けるだや さんが「自分がしたいこと」に気持ちを向けられて、したいことだったからこそ得られた経験を語ることで、苦労話よりも大切なものが詰まったミームとなって誰かの学習になることを願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。