転職に踏み切れない。他の人より大変な目に合わないといけない気がする

2023.02.21 Tue
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目次

回答したカウンセラー

小野寺 リヒト

臨床心理士/公認心理師

小野寺 リヒト

臨床心理士・公認心理師。FP2級所持。
医療機関や一般企業の産業保健事業部等での勤務経験があります。心の悩みが気兼ねなく相談できたり、セルフケアの重要性が浸透した世の中になってくれたらいいなと思っています。読書と料理が好きです。
【得意な相談】
〇気分の落ち込みや不安に関する相談(上手な気持ちの切り替え方、最初の一歩になる行動の踏み出し方等)
〇人間関係に関する悩み(パートナー・親子・職場関係・友人等)
〇お金の相談(ついお金を使ってしまう心理、貯蓄・節約のこと等)

「転職に踏み切れない。他の人より大変な目に合わないといけない気がする」の相談内容詳細

相談者
相談者 高野
いまストレスを感じている「出来事」を事実ベースで抜き出してみてね。
「いつ・どこで・誰が・何を」を意識するのがコツだよ。
①半年おきくらいに転職しようと行動を起こしてはやめて、を社会人になってからずっと繰り返している(社会人になったのは2020年4月)。
今までは求人を見る程度だったが、今回はエージェントに登録し、書類選考で落ちたが2件応募した。実際に応募までしたのは今回が初めて。
②今の仕事は残業がないので、私が仕事に求める最低限の条件はクリアしているが会社の人との考えが合わない。現場は男、事務は女できっぱり別れていて、事務側だけ残業がない。10人に満たない会社なので、関わりを断つにはどちらかが退職するか会社がなくなるか以外にない環境。ただ、転職するにしても、今クリアしている就業時間の問題プラスアルファを求めるのは難しい。どちらも取りたいが……。
③業種への興味がまったくなく、業界のこと、ルーティーン以外の仕事内容が頭に入ってこない。
④SNSや友人の仕事のつらい話にとても影響される。特に残業の話。夜遅くの「今仕事終わった」の投稿だったり、遅いときは11時まで残ってたから転職した、という友人の話だったり。そこから派生しているのか、誰かのつらい話を読んだり聞いたりするととても気分が落ち込む。誰かのつらい話がつらいから、仕事の話もつらい、という順番かもしれない。
「1」についての「感情」を%で表現してみてね。合計で100%にならなくても大丈夫。直感で書いてみよう。
もやもや80% 悲しみ40% 怒り30% 罪悪感40% もどかしさ90% 不安60%
「1」について浮かんでいる「考え」を教えてね。
①いろいろ考えては行動するが、水面下の範囲から抜け出せずにもどかしい。一歩踏み出せても二歩目で下がってしまう。友人には言えても親には言えない。実家住まいなので、黙って転職するのは現実的ではない。
 それから、触覚過敏でスーツが着れないのがとてもネック。新卒は大きめのズボンで乗り切ったが苛立ちが大きく特に面接が厳しい。スカートは問題ないがストッキングが洒落にならない。しかし大きいズボンもだらしなく見えてしまう。
②男女対等に見られていない感じが気持ちが悪い。とはいえ積極的に残りたくないので帰る。
③潮時かなと思う。頭に入れる気もしないし、会社での事は意図的に思い出さないようにしている。
④皆辛い目にあっていたり、重い過去があったりするが、私はそうではないという罪悪感。私も辛い目に合わなければと考えてしまう。正しくないだろうが、許されない気がする。
これについて
・誰に許されないのか。人間失格の『世間というのは、君じゃないか』が思い浮かぶので、私が許さないのか。
・他者がつらい目にあっているのが辛い。だから、私が一番つらくあれば、皆私よりマシな人生と思い込める。そういうことにしたい?

他者つらさを知ると、嘆きたくなると同時に知らん! どうでもいい! と殴りたい気持ちも湧き起こる。自己防衛? 昔から両極端な意見を行ったり来たりしてその中間、無難な考えを探してきたのでその影響か?
いろんな視点から捉えるために、上記の回答の「別の可能性」を考えてみよう。
今の状況は決して悪いものではない。将来の金銭的問題は頭を過るが、正社員毎日定時退社、給料は低いが実家住まいで金銭的に困ってはいない。と、羅列すると。

④つらかった大学を「重い過去」とするのは? この考えが生まれたのは社会人になってから。大学生で一度死んでるみたいなものだから、スタートラインに立てているよ、では納得できないので、「しんどくてもうだめ」状態を死ぬまで続けないと治らない?
 辛いと感じる話の内容は、私が絶対にやりたくないことのまとめなのでは? 働きたい像はなくても、こうなりたくない像は、はっきりしているのかも。
 SNSでいろんな人の良い人生の瞬間を見て落ち込んでしまう、みたいな話を聞いたことがあるのでこの逆では? 現実の会話でも、その人のすべてが語られるわけがなく、誇張や伝達ミスはいくらでも起こる。例えば私も、触覚過敏で着られる服に制限があるという事実を誰かが知ってダメージを受けるのかもしれない。本人がどう思うのか、他者がどう思うのかは別の話。
 大学時代、人生に何かとあった友人がたまたま大きかっただけで、その他のタイミングで出会った方々はそうでもなかったのでは? 親しくなかっただけかもしれないけど。
 夜遅くの退勤報告は単に遅番だった可能性がある。と毎回思うが毎回しんどい。暗い中で活動すると処理速度が落ちて嫌だから、遅番はできないと思っているからしんどくなるのか?
いま専門家に聞いてみたいことは?
転職、といいますか、今後どのように人生を歩めば良いのかわからなくて、大切にしている趣味とそれ以外のバランスとを取りあぐねているのではないかと思います。
1、3で伝わっているかもしれません。複数の悩みがぐわーと集まって絡まっていますが、行き着く先は「なにかとんでもなくしんどい目にあって、それに苦しんでからでないと許されないような気がする」です。好んで嫌な環境に身を置きに行ったりはしていません。自他境界の話になるのでしょうか。頭で考えることはできても行動に移すのが苦手で、現状が変えられずモヤモヤします。
ただ、とっ散らかった文章の中で、上記のこととは違う問題が根本なのでは、などと思われたらそちらを回答していただきたいです。
年齢、性別、職業
24歳 女性 社会人
既往歴
あり。大学時代、病院を調べる気力がなかったことを反省し、働くのがちょっと辛くなった頃から今年の夏まで通院していました。病名が付けられたことはないです。
感覚過敏について相談もしましたが、それ用の検査はないようです。
発達障害の検査になると言われましたが、先生は「話していても、発達障害という結果はでなさそう。感覚過敏がある、という結果はでるかも知れないけどそれは症状の話で、あなたが知りたいことは知れないと思う」とおっしゃいました。うろ覚えです。こちらの伝え方が下手だったりして事実とは違うかもしれません。
私が知りたかったのは、「本当に感覚過敏なのか。思い込みではないのか」「思い込みではないならどの程度他の人と違うのか」です。
悩みの内容の自由記述
自分史を書いていて思ったことです。
物理的にも精神的にも自分のテリトリーを侵略されるのが嫌で、それで時間を侵食してくる仕事をどう処理すればいいのかがわからなくなっているのではないかと考えました。
それと、一緒に暮らたことのある大人(両親)がフルタイムで働いている様子を見たことがないので、基本嫌な話しか聞かない残業ありの生活が一体どういうものかわからなくて怖いというのもありそうです。体当たりでぶつかって、それで粉砕しても平気なふりをしてしまいそうです。
匿名だとめちゃくちゃ書けるようで、自分史も悩みも長くなってしまいましたが、よろしくお願いします。自分史は特に、余計な情報が多いかもしれないです。
転職に踏み込みきれないこと、なんだか辛い目に合わないといけない気がする、このふたつは分けるべきかと思いましたが、自分の中では思うように切り離せないふたつなので一つにまとめさせていただきました。
相談者 高野 さんの自分史
  • 30歳まで

    • 25

      半年ずつのペースで転職しようの気持ちが沸き上がってきて今現在に続く。
      ようやく、実際に応募するところまできたが、すべて書類で落ちている。

      今の会社は嫌だが、絶対条件であり難題な「定時で帰れる」をクリアしているせいで、応募する時、でも残業な……と躊躇ってしまう。
      給料が安く(一人暮らしの先輩は仕送りしてもらっている)いずれしたい一人立ちのためにも何とかしたい。けど最低限以上働きたくない……というか働きたくない。
      今までスルーできた、働いておらず家事も特にしない父親がいる人生になんだかもやもや……。父に似ているとは思う。

      先行き不透明。かといって将来どうしたいかが漠然としている。どういう暮らしがしたいか、は詳細な理想を書けるがそこに仕事の存在はない。どういう仕事を、もよくわからない。来年3月で満3年社会人。の割にはスキルもないし仕事もできないし…。
      社会的な成功に興味はなかったが、いざ社会人になると不安。
      正社員・定時帰宅というエージェントの方々が「いいじゃないですか」という条件に身を置いているのはわかってるけど…

    • 23

      初めてショートカットにした

      転職の勇気が出なかったので変わる練習に。
      切った髪を見たけど、地面にある髪の多さに驚きはしなかった。
      産まれた頃はもちろん短かったけど、それ以来ずっと肩より下だったから1、2歳以来の短さかも。
      シャンプー時、髪の短さに慣れない。リンスはどこに付けたらいいの? 毛先も根元だ!
      指名はしなかったけど、ショートが得意な方が担当してくださって嬉しかった。
      大学の頃だったら友達とイメチェンにはしゃげたのに!

      親戚からの評判が良すぎる。
      けど、ヘアドネーションやってみたいのでまた伸ばそうかな。近々切りに行くけどその時に伸ばす方向でいきたいと伝える予定。

    • 22

      働き始めてすぐ、会社の年上の男性と価値観が合わないことに気付く。発言内容は書きたくないが、セクハラっぽかったり古かったり。著名人なら世間を騒がせるようなもの。
      10人未満の小さな会社で相談窓口がない。

      ショック。血の気が引いた。
      こんなことを発言をする人って本当にいるんだ。
      本気か冗談なのかわからない。どちらにせよそれを発言できる意味が分からない。例え昔は許されていたとしても今は是とされないわけで。今まで何を考えて生きてきたのか、その発言が許されてきた人生が信じられない。友人の周りにもいるらしく、彼らも同じような目に合っていることと、どこに行っても出会う可能性のある世の中への気持ち悪さ。

      どのような考えが是とされるか考えるようになった。例えば、若い人の意見の方が絶対正しいなんてことはなく変動していくものだ、とか。
      いずれ私と世間の意見がズレていくはずなので、否定せず認識を改める努力をして生きていていきたい。
      私の思う正しさと違うものが現れても、それは別の正しさか許されないものか考え、すぐ否定しないようにしたい。
      転職理由の一つだが、どこにもいるのかなと思うと憂鬱。

    • 22

      新入社員として働き始める

      最初に給料明細をもらった時、税金が引かれているのをみて「私は大丈夫だ」と思った。自分のためにお金が使われるより、知らない誰かの助けになるかもしれないことに安心を感じた。

    • 21

      就活だが触覚過敏ゆえスーツを無理なく身に着けることができない。
      タイツやストッキングが履けない。とはいえパンツも駄目。スカート+ストッキングかパンツか悩んだ結果、前者はどうあがいても無理なのでパンツに

      卒制と働きたくないのに活動しているのがしんどく、求人票などはドキドキしてまともに見られない。
      プラス、触覚過敏。制服はスカートと靴下だったので、今まで問題でなかった
      職業選択の自由って何の話?
      無理しているのでかなり攻撃的になり、面接が難しい。こちらの情報だけ相手に握られているのがとても嫌だったので、これ以上情報を渡さないよう何を聞かれてもどっちつかずな対応をし、会話もぶった切る形になっていた。

      今後起こりえる冠婚葬祭すべてで困りそうなので、いつか着物を用意したい。和装好き。
      転職したいがスーツはもう着たくない。が、ほとんど人に話したことがなく、わずかな例外でもうまく伝わらなかった。他人の正常な触覚がわからないので何をどう語ればいいのかわからない。
      病気ではなく症状であるらしい。具体的な解決策もない。避けることが対処法なのは身をもって知っているが、避けられないことはどうすればいいのか。

  • 20歳まで

    • 20

      インターンでデイサービスをやっていらっしゃる職場へ行く。まったくの専門外だった為、利用者様の話し相手をさせていただいた。
      彼女は同じ話を何度もされる方で、それに長いこと付き合った。

      めっちゃ綺麗! 完全な円が存在するならこの語りのことだろう。
      話が不自然に途切れず、綺麗に一周しているので途絶えることがない。父が、何度も何度も同じ話を振ってきてうっとおしいのとはまったく違う。切れ目がなくて、何度語られてもそれは初めて語られた話。私が反応を変えようと変形しない。
      この、切れ目なく一周している話がとても美しかった。が、美しさしか記憶していないので説明が難しい。

      どこに行きたいのかわからない会話は苛立ちを覚えると別の自分史で書いたがこれは例外。(苛立ちを覚える前のこと、というのもある)
      私が重要ではなく気楽に聞き役に回れたのがよかったのかも。
      あくまでインターンで、非日常だから美しかった?
      父の何度もする話が嫌なのは、反応を求めるのにもう一度同じことを聞いてきて(それを自覚しているのに!)、意味がないのに反応しなければならないから。彼女にはそれがなかった。

    • 19

      大学の自主参加プログラムでチェコに一週間ほど旅行に行った

      夜、地震や家事が起こるかも、等の怖いことを考えてしまう夜がある。しかしチェコでは。チェコと日本には8時間時差があって、私は今から眠るが日本で生活している私や知人は今から起きる。私が眠っている間ずっと昼間である。地球の別の場所では、同じ時間(タイミング?)に夜と朝が同時にあることを知識でなく実感することができて、夜が怖くなかった。

      もう今はあまり効果は無いが、帰国してからの夜、チェコで旅行している私は日中だから活動しているぞ、と思えば夜も少しは怖くなくなった。

    • 18

      高校卒業間近、学校図書館司書の先生が、三年間借りた本の題名と、冊数を書いた紙を全員に配ってくれた。なんと私は、その年で一番多く本を借りた人間だった。

      2位は同じクラスの男子で、私より一冊少ないだけだった。同じ本を借りたこともあったし、漫画も借りられたのでそれで結構冊数を稼いだだろうことに後ろめたさもあったが素直に嬉しかった。
      図書委員三年、委員長にもなっていたので先生からのコメントが書かれてあった。内容も私に沿った文章で、ちゃんと見てもらっていたんだと嬉しかった。
      紙はまだ残してあります。

      思い返せば、クラスで一番得意なことが思いつかない私にも一番があった。
      特別親しくはできなかったが、懐いていたと思う。
      担任の先生から仲の良い友人を訪ねられたり、おそらく心配されていたことに当時は気付いていなかった。先生方も連携して気にかけてくださっていたのかも?
      唯一「あなたは問題のない生徒です」から外れた時期だったからこそ、今、大人に見守られていたことに気付けた。

    • 18

      大学の先生が、
      人間の会話は小説ほどきちっとしていない。よく聞いたらすぐにわかるだろう。聞いたことに返さなかったり、二つの物事を同時に話したり、無茶苦茶だ。
      と話される。

      確かに! よく聞いてみると本当だ。
      それ以来会話を文章で捉え、相手の聞いている質問に対してきちんと答えられるように意識するように。(同じ先生が授業中、オノマトペを多用して話す私に大学生らしく会話をしてと言われてショックだったからというのもある)

      誰かが食い違った会話をして首をかしげている時、どうこんがらがっているか理解し、説明できるようになった。
      ただ、何が言いたいのかわからない会話(似たようなことばかりで情報が増えず、どうしてほしいのか、どうしたいかが不鮮明)や質問に返答できていない会話は他人同士でもイラっとする。十段階で2,3くらいの苛立ち。
      ただ、私は話すのがかなり下手。当たり前だけど小説のようにはできない。

    • 18

      大学入学。
      合格決定後の課題をこなしている最中から、この学科でやることが私にとっては向いていないんじゃないかと薄々感じる。
      大学卒業までこれらがひっくり返ることはなかった。

      そもそもいままで文章をめちゃくちゃ書いてきた人間じゃなかった
      すでに折れた筆で書いている感じがする
      書いた文章を人に見せるのめっちゃ苦手だと知ったが、他の人はそうでもないらしい。(入学後、この悩みについて共感、相談できる相手がいなかった)
      とはいえ楽しい瞬間もある。思いついて、これを書こうと思う構想段階は特に。あとの作業はただただ苦痛。
      読むことは好き
      感情は、モヤモヤというよりつらいに近い

      なにかを作り出して、それで食べていくのは無理だとわかった。
      それでも、なんだかんだ文章を書く趣味は本当に細々と続いている。愛憎こもごもというやつだろうか。

    • 17

      一人を謳歌していた頃の話です。
      調理実習で作った三食丼を最後まで残って食べていた。
      教室の隅で、一番最初に仲が良かったグループの一人が「え、遅」と笑いながらこちらを見ており、Aも笑みを浮かべていた。

      悲しい!
      特にAにショックだった。仲良くなったのは遅くても幼稚園から一緒で、当然食べるのが遅いのを知っているのになんで!
      その後すぐに
      ・Aが笑う以外の反応を取ることは難しい。愛想笑いだったのでは? あの場にいたら、私も困って同じような反応をするだろう
      ・遅いのは事実でありそう言った彼女も、何も悪くない
      と思い直した。
       そもそも状況が給食に似ていたので、ダメージを受けやすい状況下にあったのでは。

    • 17

      高校で一人になるまでの流れ
      ・最初のグループから離れる
      ・似たグループを彷徨う
      ・ある移動授業、一人で行動していた彼以外遅刻
      ・一人になる決意
      ・変人が多いとクラスが自負していたからか、その後問題なし

      移動が遅いクラスだったので、毎回はらはらしながら皆を待って、まだ話せる子達と一緒に移動していた。
       一人で動いていればあの授業では怒られなかっただろうし、自分好きに動けるし、良いことずくめ。
       三年間同じクラスで大体の性格を皆知っていたからか、一人でいた彼も孤立していたわけではなくそういう人間として扱われていたので実行しやすかった。
       これからは一人で生きよう。

      2回ほど大きく性格が変わったなというタイミングがありますが、その2回目です。その後大学で友人に恵まれ、誰かといるのもいいなと思えるようになり、今は一人でも、誰かといても楽しめるようになりました。ずっと誰かといるのは大変疲れますが、それでも友達と過ごす時間はいいものです。

    • 17

      倫理の授業を受ける。さまざまな人間がさまざまな考えを持っていることを知る。

      こんな世界の捉え方があるのか。楽しい!
      人々が見ていないところに世界はあるのか?みたいな、自分しか考えていないかもと思っていたことが教科書に書いてあり、自分が決して特別な人間でないことがわかりほっとするような残念に思えるような。厨二病の終わりを迎えさせてくれたのかもしれない。

      専門にはしなかったが、倫理や哲学はいまだに興味がある。高1の時に倫理の授業が合ったら進路がまた違ったかも。

    • 16

      このころTwitterを始める

      趣味を続けている大人がいる!
      オタクなので、それ用のアカウントだったので、働きながら小説や絵をかいたりコスプレしている人がゴロゴロいた。
      同時に、社会人になって活動を辞める人も。それはただただ悲しい(自分がそうなりたくないからだと)

      あの当時驚いた、趣味しながら社会人している人になった。趣味に偏りすぎてるかもだけど。

    • 15

      同じ高校に通った親友Aとは学科も一緒で、同じクラスだった。Aと一緒に仲良くなったグループで話される悪口が嫌で、グループから距離を置く。
      結果、今に至るまで親友Aと疎遠に。

      中学校までは平気。輪に交じってもなんともなかった。
      例えば、nさんが○○だから嫌われているとする。○○なのはわかるが、だから嫌い、にはならなくなった。なので、悪い人ではないのに……ともやもや

      悪口は好まなくなった。誰かを嫌うこともほとんどない(最近になって、私は一部民族に対するものや、性別に関する偏見、差別で私と価値観が違う人を嫌だと強く思う人なのだと知った)

    • 14

      小学2~6年までずっと同じクラスで好きだったB。
      中学生になり、同じBが好きな友人から、彼は一緒の塾に通う他校の子と付き合った、と聞く。
      私の反応が鈍さに彼女は、私はそれを聞いて一晩泣いたよと言った。

      泣いたらしい友人に、そんな少女漫画みたいなこと本当にする人いたんだ! と驚いた。彼に想いを寄せる子は多かったので、誰かと付き合っててもおかしくない。ので、Bが付き合った報告より泣いた友人に衝撃を受けた。私は、クラスが一緒だった時のみ好きだったのだと、中学で別々のクラスになって知った。だから、違うクラスでも想い続けていた友人が不思議で、心配で、好奇心もあった。

      以降、恋愛感情を持って人を好いたことがない。性欲という概念と、それに関係するものが私の世界に構築される前なので、性欲ありきの恋愛は想像の域をでない。恋愛を軸とした作品を作るのは難しい。
      恋愛に活発な友人や同世代の親族は少なくそういうものかと思っていた。しかし、ココロジー様への相談内容には恋愛に関するものが多いと感じ、それだけでは測れないがこの世で恋する人は割と多いらしいと不思議に思っているところ。

    • 14

      好きな漫画がアニメ化したので観たいと母に言ったところ、
      中学生にもなってアニメなんか観て。大人になったらそんなものを観る暇はない、と言われた。(大人になったら趣味なんてできない的なニュアンス)

      好きなことができないなんて、大人になりたくない!

      当時、両親ともに働いていなかったので参考にならなかったが、それ以外の大人で趣味を持っている人がいなかったので信憑性があった。マガジンを読んでいる叔父がいたくらい。
      なんとなくバリバリ働いているイメージがあった「大人の私」の想像が、一気にどれだけ趣味ができるかにシフトチェンジした。

      趣味>仕事は絶対に逆にはできない。「社会人になって趣味ができない」を許して働ける人のことがわからない。そっちの方が生きていけやすそうで羨ましい気もするが、そうなってしまった人の人生を思うとただただ悲しくなる。結婚や子供、介護等々、仕事以外の理由でもそう。

    • 13

      親友Aと絵や小説をかき始める。
      一緒に応募した小説賞にAが受賞し表彰式に付いて行く。審査員の方に「悔しくない?」と言われた。
      絵は、交換ノートのように一ページずつ描いていた。Aの方が上手かった。

      小説 審査員の言葉どおり本来なら悔しい事だとわかってはいた。が、私が面白いと感じた作品が賞を取って純粋に嬉しい。むしろAが気を遣うのではと心配で、逆だったら私は純粋に嬉しがれなかっただろう。
      絵 Aとの差に若干恥じらいはあったが、楽しかった。上手な人が上手な絵を描くことはおかしくなく、やはり悔しくなかった。

      小説もイラストもまだに続けている趣味。
      小説はもう残っていないが、絵はまだ当時のAを越えてない気がする。客観的に見れば超えていても。
      最初から上手い人が隣にいたので、誰かと比べ落ち込むことがない。交換ノートの最初に描いた絵をぼんやり覚えていて(手元にあるのは2冊目)、比べるのはその絵。私は最初の自分より上手く、最後の自分は今より上手いだろう。を芯にしている。

    • 12

      1歳の自分史の続き。
      12歳かは不明だが、記憶にしかない特徴的な匂いのする店の前にたまたま通りかかった。百貨店の中のウィッグ屋さんだった。

      母はまだらに毛が抜けていて、常にウィッグを使用している。
      これらのことか、母はその店に入るため、幼い私を店の前で誰かに預けたのか!と長年の謎が解けてすっきり。

      いまだに母のこのことについて聞けないし、誰も触れない。仄めかした事もない。込み入った話を一番しやすい妹ともこの話題に一歳触れたことがない。し、母のウィッグを外した姿をはっきり見たことがない。まだらに抜けていると知っているのはうっかり扉を開けかけた時とかに知った。けれど、このような時は何事もなかったかのように閉じることにしている。

    • 11

      小6の担任の先生がクラスに向かって
      「人から、あの人は頑張っているなと思われて初めて頑張っていると言える。自分で頑張っていると思っていても、他から見てそうでないならそれは頑張りではない」と話される。

      そうか、なるほど。などの納得の気持ち。
      (数年後には、違うな? と思った)

      見えない努力もあり、他者に評価を委ねるのは違うと今も考えています。
      無茶苦茶な先生でした。もし上記を先生が信じていたなら、人から頑張ってるねと言われないからもっと頑張って、結果無茶苦茶になったのではと考えるようになりました。
      先生のいろいろなことはこれで納得し、哀れにも感じているのですが、私達が卒業した次年から優しい先生になったらしいのも含めてやっぱり未だに殴りたいです。

    • 11

      修学旅行先が広島で、戦争学習で絶対食欲失くすだろうに三食残さず食べるのが嫌すぎたのか、当日微熱が。母が車で学校まで送ってくれたが、結局行かなかった。

      小学校の修学旅行は一度しかなく、娘がその機会を逃そうとしているのは嫌だろな、慌てているなと思ったが残せないご飯を食べるのはつらい。
      当時一番の友達と、片想いの子と同じ班だったので、惜しい気持ちもあるが不安なものは不安。元々研修旅行で体調を崩しやすく、無茶できないので。
      時間ぎりぎりに車で小学校で行ったので、隣の組の先生が急げと私と母に怒鳴ったのが怖かった。先生は母に気づいていなかったそうだが。

      給食に厳しいのが私のクラスだけで、隣のクラスはそんなことはなく、修学旅行の班は組関係なく組めたのでもしかしたら心配したことは起こらなかったのでは? という後悔のようなものと、当時の自分に修学旅行に行けというのはあまりにも酷だというのもわかる。修学旅行以降広島に行ったことがないので余計に。

  • 10歳まで

    • 10

      夏休み前にさまざまなプリントを貰う。
      そのうちの一枚に「困ったことがあったら信用できる大人に相談しましょう」と書いてあった。

      相談できる大人って誰だろうと考え悲しくなった。
      両親と先生が相談してもおかしくない距離にいる大人で、けれど彼らに相談することはできない。
      小説の中なら近所に頼れるお兄さんお姉さんがいたりするのになぁ。

      頼れる大人でいようとしている(幼少期の私が望んでいた事としては、子供の話を聞き問題解決まで動ける)。が、かなりハードルが高い。
      身近な子どもはいとこだが、相談できる距離感ではない。相談されるされないに関わらず変に距離を詰めていくのは気持ち悪いし、それ目的で近付くのは違う。
      問題やイレギュラーに対応するのは面倒だよなと当時の大人に対しても思う。解決できなかっただけで、ちゃんと動いてくれていたような。

    • 7

      友人が遊べないかとやってきて、5分ならと許される。
      5分ほどで私が帰ろうとすると引き留められ結果2時間ほど帰れず。
      帰ると母は私を引きずって外に締め出す。その時祖父母の家に行く予定だったと知った。

      ・5分以上遊んでいることはもちろん知っていた・別にいいでしょうという友人を押して帰ることができなかった・2時間の間ずっとはらはらしていた これらを踏まえて、私にはどうしようもなかったと思った。が、理由を語らせてもらえなかったのがショックだった。
      ・大人は子供の話を聞かない・理解者などいない このような考えを持つように。
      これ以降中学生くらいまで、帰宅後誰とも遊ばなくなった。

      2回ほど大きく性格が変わったなというタイミングの1回目です。この出来事がというより、2年生以降と、それ以前の私とでは受ける印象がちがうのです。以前の私は挙手して発言したり外で遊んでいたのですが、以降の私は内向的に感じます。
      本心は不明ですが母はこれを覚えておらず、私も覚えていないことにしているのですが(妹が、こんなことなかったっけと聞いてきた)正直腹立たしいです。祖父母の家に行くって先に言ってよ!

    • 6

      年齢は不明だが小さい頃。
      この世界はドラマのセットのようで、私がいなくなるとハリボテは片付けられて、私がやってくるとまた世界が造られ人々は演技をしているのではないか。

      確かめる術はないけど疑わしい。
      私はそんなことをされるほど偉大な人物か? いいや違うな。と思い、これは事実ではないんだろうなと考えを改めた。

      トゥルーマン・ショー妄想という言葉を知りました。面白いですね。

    • 5

      どうしても私は私なのだろう と、考え始めるようになったのがこの頃
      ※Wikipediaにある「なぜ私は私なのか」と同じだと思います。専門的すぎて読んでも半分も理解できませんが。

      もやもや。不思議。
      どうして他人でなくて、私は私からでしか世界を認識できない? なぜ、この体なのか?

      定期的に考える疑問。どんどん言語化できるようになった気がする。
      他の誰かになりたいわけではない。純粋に疑問

    • 5

      幼稚園の午後、みんながお遊戯会の練習を体育館でしている中自分は教室でお弁当を食べている。交代でクラスメイトが様子確認のため一緒にいてくれる。

      お弁当の量が多くて時間はかかっているが、一人で食べることに問題はない。先生は心配して人を送ってくれるが寂しくないのにどうしてだろうという疑問。

    • 4

      履かされたタイツが嫌で泣いていた
      泣いている私に母が、トナカイの頭が付いたシュシュを渡してきた

      この時のことしか覚えていないが、タイツが気持ち悪くて泣くのは2度目だと思っていた記憶はある
      前回、一時間くらいで気持ち悪くなくなったから、今回もそうかな
      泣き止ますためにシュシュを渡されたので、気持ち悪いのに変化はないが泣き止まないと

      感覚過敏を知ったのは最近。皆気持ち悪さを感じずにタイツ(細い衣類や毛、麻が含まれたもの)を履いているのか? 信じられず定期的に疑問に感じる。店頭の服や礼服がスーツなのを見ると気持ち悪くないのだろう……でも本当?
      同じ人に合ったことがない(父は、幼い頃はちょっと苦手だったと言っているが私のこのことに関して理解しているようには見えない)
      (ぴったりした服が良い方もいらっしゃることは知識としてあります)

    • 2

      仕事に行く父の姿。仕事という概念がまだなかったが、青いつなぎを着ているので仕事のはず。玄関にいるのをリビングから見ている。目線は低い。
      正確に何歳かはわからないので仮に2歳にしている。

      寂しい気持ちをぼんやり覚えている。

      どの時期かわからないが、物心が付く前に父は仕事を辞めてしまった。この記憶が唯一の父の働いている(働きに行く)姿。多分。
      社会人になったが、人がフルタイムで働いて生活している様子を見たことないので多忙な人々はどのように生活しているのか。働くことへの不安を感じる。 
      母は、父方の祖父の会社で働いているが、勤務時間は短い。

    • 2

      おそらく妹が産まれる前夜。病院の廊下にある長椅子で目覚めた。通路の反対側には母方の祖母が寝ている。彼女の服が捲れていて、背中がぼんやりと白く光っていた。
      覚えていないが、熱が出ていたとのこと。

      不思議に思って見ていた気がする。次の日、おばあちゃんの背中が光っていた、的なことを親か誰かに言ったような。

      最初の視野で覚えている記憶。最初の記憶だとずっと思ってきた。(感情の記憶も合わせると他の自分史に書いているものの方が先かもしれませんが、不明)
      今は、黒の中心にある白いもの、くらいにしか思い返せない。

    • 1

      どこかへ行ってしまう誰かと、甘いような特徴的な匂い。年齢不明。映像もなし。

      悲しい。

※ プライバシー保護のため、ご質問の一部を編集部で変更している場合がございます。

「転職に踏み切れない。他の人より大変な目に合わないといけない気がする」への回答

  • 高野 さん、ご相談をよせてくださりありがとうございます。臨床心理士・公認心理師の小野寺です。

    ご相談内容だけではなく、自分史にもたくさんの情報を書いてくださりありがとうございました。

    小説をお書きになっているだけあり、ご自身の悩みを記述しながらご自身を内省されていかれたのではないかと想像できる記述でした。

    「物理的にも精神的にも自分のテリトリーを侵略されるのが嫌で、それで時間を侵食してくる仕事をどう処理すればいいのかがわからなくなっているのではないかと考えました」との気づきは、まさに内省のたまものだろうと思います。

    またご自身の悩みの本質を簡潔に捉えることが出来ていらっしゃるようにも感じました。

    高野 さんのお悩みの行き着く先は「なにかとんでもなくしんどい目にあって、それに苦しんでからでないと許されないような気がする」なのですね。

    「とんでもなくしんどい目」に遭う必要を感じているのは「他者がつらい目にあっているのが辛い」から。ご自身が一番つらくなれば、他の人は自分よりも楽なことになりますね。そうなれば、「いや、相手は自分よりまし。つらくなる必要はない」と他者のつらい姿を見たときに自分が感じるつらさを確かにキャンセルできそうです。

    以上の前提を元に、 高野 さんのお悩みである「転職に踏み込みきれないこと」と「辛い目に合わないといけない気がする」の2つを見ていきましょう。

    統計手法を使って悩みを分析する

    高野 さんは

    「転職に踏み込みきれないこと」と「辛い目に合わないといけない気がする」

    この2つを切り離せないものと考えているのですね。私もその線に沿って2つを同列に並べて考えてみました。そして共通点はないかをじっくりと観察してみたのです。共通点が見つかれば、その点から何かしらのご提案を 高野 さんと考えることができるのではないかと目論んだからです。

    しかし、結果的に私には共通点を見出すことはできませんでした。私はこの2つはそれぞれ違う方向を向いたものに見えたのです。どうやら 高野 さんと私とでは、捉え方に大きな違いがありそうです。

    まずここをすり合わせる必要がありそうですね。
    私が言う「違う方向」とは何なのか? どこに捉え方の違いがあるのか? それをご説明させていただければと思います。

    先述の通り、私は「違う方向を向いている」との仮説を持っています。しかし話に客観性をもたせるために、あえて「転職に踏み込みきれないこと」と「辛い目に合わないといけない気がする」の2つが「同じ方向を向いている」と真逆の仮説を立てて話を進めていきたいと思います。

    このように、仮説(対立仮説といいます)とは逆の仮説(帰無仮説といいます)を立て、帰無仮説が成立しないことが証明されたことをもって、対立仮説の確からしさを証明する方法を、統計学では「背理法」と言います。今回はこの背理法を使って、 高野 さんの仮説を検証したいと思います。

    「統計」とか「背理法」と言われたら、「難しそう」と思うかもしれませんね。けど、今回は考え方の一つとしてご紹介するだけで、数字や計算などの話は出てきませんので安心してください。背理法の考え方自体は、悩みごとを解決するのにも役立ちますので、軽い気持ちでお読みいただければ幸いです。

    さて、ここでの帰無仮説(私が想定している仮説とは逆の仮説)は【「転職に踏み込みきれないこと」と「辛い目に合わないといけない気がする」が切り離せない】ですね。帰無仮説が正しいとすると、この2つの間に齟齬は生じず、共通項が見いだせるはずです。

    改めて 高野 さんが転職に踏み切れない理由を考えると、端的には

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