ふとした拍子に親から受けた虐待された記憶を思い出し、自分を制御できなくなります

2023.02.10 Fri
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目次

回答したカウンセラー

中浦ダイ

精神保健福祉士

中浦ダイ

精神保健福祉士。ニュージーランド在住。Waikato大学大学院カウンセリング学修士課程。Free to Runアンバサダーランナー。精神科医療機関でのソーシャルワーク、オルタナティブ教育団体でのプログラム運営、心理カウンセリング、女性の権利擁護などの活動を行う。知識が経験になり自分の物語になるようなコンテンツを作りたいと思っています。
【得意な相談】
◯自己肯定感・自尊心に関する相談(自信がない、何をしたいか分からない、自分がどんな人間か分からない等)
◯コミュニケーションに関する相談(家族・夫婦・親子・職場・友人との人間関係等)
◯適応に関する相談(職場・異文化・出産などライフステージに伴う変化等)

「ふとした拍子に親から受けた虐待された記憶を思い出し、自分を制御できなくなります」の相談内容詳細

相談者
相談者 てばさき
いまストレスを感じている「出来事」を事実ベースで抜き出してみてね。
「いつ・どこで・誰が・何を」を意識するのがコツだよ。
緊張する場面や周囲に人がいる状態で、小・中学生時代に親から受けた精神的・肉体的虐待、また小・中時代でのいじめ(暴力行為)を思い出し、身体がこわばる。ぶわっと汗が出、呂律が回らなくなり、うわごとのようにぶつぶつと勝手に言葉をしゃべり(言葉のコントロールがきかなくなる)、身体のあちこちの筋肉がつったようになる。最悪の場合貧血に似た立ちくらみの症状が出、意識を失う。
「1」についての「感情」を%で表現してみてね。合計で100%にならなくても大丈夫。直感で書いてみよう。
恐怖80% 不安10% 憎しみ10%
「1」について浮かんでいる「考え」を教えてね。
自分は、無理を重ねなければ他の人と同じ水準で作業・仕事ができない、駄目な人間だ。
温かい家庭で、当然のように自分の場所を与えられて育った他の人たちを羨ましく、憎らしく思う。また、そのような嫉妬心を捨てきれない自分が恥ずかしい。
他人が当たり前にできていることをできない、迷惑な自分は死ぬべきだ。
同期や友達が仕事をしている中、何もできず外にも出れていない自分が取り残されていると感じる。
世の中の役に立つことができていない自分は、死んだ方が良いのではないか。
優秀な弟がいるのだから、自分の代替はいくらでもいる。
「1」の出来事が起こるたび、こんな苦しむくらいならいっそ人生が終わってしまえば良いのに、と思う。
いつ過去の事柄を思い出すか分からず、とても怖い。また、そんな風に恐怖する自分を、周囲の人間が嘲笑っていて、とても憎らしい。
誰かに共感して欲しいが、「仕方ない」と無碍にされるのが怖い。
自分の「正体」が分からない感覚がとても怖い。
いろんな視点から捉えるために、上記の回答の「別の可能性」を考えてみよう。
初めは何ごともできなくて当たり前だ。
それぞれの家庭にはそれぞれの悩みがあるのだから仕方ない。
所詮他人なのだから、共感は不可能である。
人々は毎日苦しく無理をしながら仕事をしたり通学したりして生きているのだから、それくらい我慢して生きなければいけない。
いま専門家に聞いてみたいことは?
昔の出来事に縛られず、前向きになるためには、どうすれば良いですか。
年齢、性別、職業
25歳 男性 無職(元高等学校非常勤講師)
既往歴
躁うつ病(治療中)、突発性難聴(治療中)
悩みの内容の自由記述
--- 未回答 ---
相談者 てばさき さんの自分史
  • 30歳まで

    • 23

      大学のサークルで仲の良かった先輩(男性)から性的暴行を受け、人間不信になり、仕事を退職する。

      仲の良い方だったのでとても怖かった。

      男性に対して恐怖を抱くようになった。

    • 22

      親の指示で、鬱病を隠して(主治医の指示)、教育関係の仕事に就くことになった。

      自分なんかが教育者になっても良いのだろうか。生徒に舐められることはないだろうか。自分の本質を明かさぬまま仕事を続けて良いのか。

      仕事が忙しくカウンセリングに行くことができなくなり、鬱病が悪化した。

    • 22

      就職活動に失敗し、自殺を試みた。親に止められ、無理矢理心療内科に連れていかれた。

      どうして死なせてくれないのだろう。きっと自分のことは異常だと思っているに違いない。

      自傷行為に抵抗がなくなった。

  • 20歳まで

    • 18

      滑り止めで受けた大学に合格し、強制的に一人暮らしをさせられることになった。家を追い出された。

      どうせ自分にはこの家に居場所はないのだと思うようになった。

      帰る場所がなくなった。

    • 11

      夫婦仲が険悪になり、家庭内別居になった。父の休みの日は、父の部屋の前の床に母が食事を置き、まるで動物を飼っているような状況であった。どちらか一方と話すと、どちらか一方の機嫌が悪くなった。

      自分がしっかりしなければ、自分が二人を仲良くさせなければ。

      将来(特に結婚などについて)に希望が持てなくなり、異常な家庭で育った自分には家族の構築は不可能と思い、自殺を考えた。

  • 10歳まで

    • 10

      一年間、クラスで暴力・暴言を受けるいじめを受けた。休み時間はいじめっ子にサンドバッグにされ、他のクラスメイトや先生はそんな自分をみて笑っていた。

      痛かった、恥ずかしかった、誰かに助けて欲しかった。

      殴られる、または怒られる時の人の感情変化に敏感になり、人の目を見て話せなくなった。

    • 8

      父が暴力を振るうようになった。食卓やリビングなどで、気に食わないことがあると物を投げたり、蹴ってくることがあった。

      とても怖くて、痛かった。

      人の顔色を伺うようになり、普通に笑顔が出来なくなった。

    • 7

      宿題を母にチェックされ、毎日泣きながら宿題を解き直していた。誤答は許されなかった。

      周りのクラスメイトはゲームなどをして遊んでいるのに、どうして自分だけ毎日こんな辛い思いをしなければならないのだろう。

      否定から入る母だったので、自分を否定する癖がついてしまった。

※ プライバシー保護のため、ご質問の一部を編集部で変更している場合がございます。

「ふとした拍子に親から受けた虐待された記憶を思い出し、自分を制御できなくなります」への回答

  • てばさき さん、ご相談を寄せていただきありがとうございます。精神保健福祉士の中浦です。

    相談内容を拝読させていただき言葉に詰まる思いです。小・中学校時代に受けた両親からの虐待や同級生からのいじめ、また大人になってからの性的暴行や、親の指示で教職に就くことになったなどの過去は、 てばさき さんがこの世界で何を拠り所にし、どこに安全を感じればいいのかを大きく損ねてしまう出来事だったと感じます。

    【聞きたいこと】には、『昔の出来事に縛られず、前向きになるためには、どうすれば良いですか』と書かれていましたね。

    正直にいうと、今の てばさき さんの状況で前向きになる方法は今の私では思い浮かびません。それほど てばさき さんの抱えてきたものはあまりにも重すぎます。

    というよりも、もし今私が前向きになれる方法をいくつかお伝えするとしたら、それはこれまでの てばさき さんの苦悩を軽視し、 てばさき さんの存在や尊厳を損なうことになるような気がどうしてもしてしまうんです。それだけは絶対にしたくないと思ってしまいます。

    『誰かに共感して欲しいが、「仕方ない」と無碍にされるのが怖い』と書かれていましたね。私が安直に前向きになる方法を伝えるのを躊躇うのは、この『共感して欲しい』という部分を大切にしたいと感じるからなんです。

    『共感して欲しい』という箇所は、相談内容の中で唯一 てばさき さんが求めているものに関する記述でした。辛い経験や現状への恐怖や不安の記述は過去を向いています。しかし、「何かを欲しい」と思うのは未来を向いています。つまり、「共感」は てばさき さんが前向きになるためのキーワードになるかもしれないということです。

    なので、今回は てばさき さんの求める『共感して欲しい』というキーワードから、実際に少しずつ前を向けるようになるための道筋のひとつをお伝えできればと思っています。

    もし「前向きになる方法じゃないなら必要ない」と思われたら、ここから先は読んでいただかなくても大丈夫です。その時は てばさき さんの本意に対して答えることができなかった私のミスです。もし「この先にどんなことが書かれているのだろう」と少しでも興味を持っていただけるのであれば、少しの時間ですがお付き合いいただけたら嬉しいです。

    「共感」という言葉はわかるようで誤解もされやすい言葉ですが、ここでは他に話したいことがあるので、簡単に「相手の感情を感じとり自分も同じような感情を体験する」という感じで私と てばさき さんの共通理解とさせてください。また、 てばさき さんも書かれていましたが『所詮他人なのだから、共感は不可能である』も重要な事実ですね。正確には「完全に」他人に共感することは不可能です。どんなに「足が痛い」と言われても、その痛みを同じように体験することができないのと同じです。

    私がここで てばさき さんと話したいのはもう少し別のことです。

    完全に共感されるのは無理だとしても、 てばさき さんは『共感して欲しい』という思いを持たれています。では、 てばさき さんは「誰でも良いから」共感して欲しいと思われていますか? 例えば、まったく見ず知らずの街ですれ違った人に、完璧に共感をしてもらえたらどうでしょうか?

    きっと見ず知らずの人であっても、共感してくれたら嬉しいのではないでしょうか? カウンセラーだって言ってみれば見ず知らずの他人です。

    じゃあ、次のような条件が追加されたらどうでしょうか?

    「見ず知らずの人に完全に共感されたけど、その後すぐに『じゃあね』と言われ、その人とは2度と会うことができない」

    当たり前のように感じるかもしれませんが、上記のような条件が加わると、共感された喜びにも少し変化が起きるのではないでしょうか?

    私が言いたいのは、『共感して欲しい』には「わかってほしい」以外に、「わかってくれる人がいて、その人と何かしらの形でつながっている」と感じられる感覚が重

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