「誰かと一定以上仲良くなると心が疲れてしまいます」の相談内容詳細
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いまストレスを感じている「出来事」を事実ベースで抜き出してみてね。
「いつ・どこで・誰が・何を」を意識するのがコツだよ。
- 特定の人と一定以上仲良くなるとその人に対して今まで気にならなかったことが気になるようになり、様々な負の感情で心が忙しくなり疲れてしまいます。
一定以上の仲良し、というのは私の主観になりますがよく会う機会があり、好きなものはもちろん嫌いなものの話も、悩みも相談できて ある程度お互いの情報(好き嫌い、趣味、最近あった出来事等)を提示し合っているような関係性です。
その人が忙しそうにしていると「遊びたかったけど今は話しかけない方がいいな・・」と、仲良くなる前は遠慮なく誘えていたのに出来なくなってしまったり、
その人と趣味が共通していた場合、その趣味の進捗状況や実力を自分と比べてしまい(わざわざ自分からは確認しなくても話題に上がるとどうしても把握してしまいます)落ち込んだりいいよなぁと嫉妬してしまったり、逆に相手が落ち込んだり怒ったりしていると「私のせいかも」と考えてしまったり、ひどい時は「自分だけが仲良くなった気でいて、以前よりも馴れ馴れしくなった私のことを相手は鬱陶しいと感じているかも・・」「相手も大人だし、対立を避けてくれているけど本心では嫌なのかも」「私よりも親しい別の人と遊びたいに違いない」とも思えてしまいます。今まで誰にも「実は鬱陶しいと思っていたんだ」等言われたことはありませんので事実はわかりません。私が相手の言葉、一挙一動が気になり深読みをして勝手に落ち込んでいるだけです。しかしそのせいでなかなか人と深い仲になれません。なれたと感じた瞬間上記のような状態になってしまうためとても辛いです。 - 「1」についての「感情」を%で表現してみてね。合計で100%にならなくても大丈夫。直感で書いてみよう。
- 悲しみ80% 自分への怒り30% 諦め60%
- 「1」について浮かんでいる「考え」を教えてね。
- ・気にしすぎる、勝手な想像をする癖のせいで他の場面、仕事等でも慢性的に疲れている気がする
・一定以上仲良くなった相手には色々と相談もできるけど、本人にこの相談をするのだけは流石に気まずいし引かれてしまう気がする。今後の関係が変わってしまう気がしてできない。
・友達とさらに仲良くなることは喜ばしく幸福なことなのにこの癖のせいで「ああまた一挙一動が気になって疲れる日々が始まる・・」と憂鬱になってしまう。
・友達と仲良くなれたことをもっと喜びたい。
・余計なことを気にしたくない。疲れた。相手にも失礼。
・もはや表面的で浅い関係だった時の方がずっと楽だったと感じてしまいそれが悲しい
・皆話さないだけで同じことで悩んでいる・・?こんなに疲れながら友達と過ごしている・・? - いろんな視点から捉えるために、上記の回答の「別の可能性」を考えてみよう。
- ・実際相手は私を鬱陶しいなんて思っていない
・気にしすぎ、考えすぎは自分の気質であって治らないもの?改善より付き合い方を考える方が現実的なのかもしれない - いま専門家に聞いてみたいことは?
- 何故浅い関係だった頃できたことが深い関係になった途端できなくなったり、色々と気にしすぎてしまうのでしょうか?
他者の心の内を気にしすぎてしまう癖は改善できるでしょうか?
難しい場合は、気になっても疲れない方法等はあるでしょうか? - 年齢、性別、職業
- 30歳 女性 会社員
- 既往歴
- --- 未回答 ---
- 悩みの内容の自由記述
- ココロジーの記事はとても好きでよく拝読しています。
「HSP」「自他境界」「親との関係」あたりが自分に関係しているかも?と自己分析しています。それから自分と似た境遇の他の相談と回答も読んで自分なりに納得して記載されていた対策も試しておりますがたった数ヶ月なので現状ではあまり改善されておりません。続けてみます。この度は個々に解答頂けることと「友人関係」について深く相談できれば嬉しいと思い投稿させて頂きました。
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会社に就職
私なんかを雇ってくれる企業があった
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大学で心理学を学びつつ人生初めてのアルバイト(接客)を経験して同年代との実力差に落ち込んだりしました
働くって大変だけど楽しい
でも同年代だと自分は落ちこぼれ・・
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再び大学受験に落ちて疲れてしまい、全て諦める。ハードルを取っ払って、余裕で入れる私立の大学へ
頑張るの疲れた・・
母親に申し訳ない・・
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無事に高校卒業。部活も最後まで続けられました
受験は失敗したため浪人生に・・無事に卒業できた!嬉しい!やればできるんだ!
受験ももう1回頑張ろう!!高校3年間は忘れられません。辛いこともあったけど幸せなこともたくさんあって、大好きな母校となりました
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高校入学を機に不登校から復帰
怖い
中学時代に逃げだしたことが悔しくて、これで終わりたくなくて、再び吹奏楽部に入りました
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中学2年生の途中でまた不登校に
自分は普通に生きていくことが出来ない無能なんだ
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親が離婚して、父親は家を出て行きました
母が父に開放されて嬉しい。良かった。
でも本当は両親には仲良くしていてほしかった離婚して別居になった後も父には何度か会って遊びに行きました。離婚前よりずっと優しかったですが私は緊張していました。 また、誕生日にはプレゼントもくれましたが中身は私がまったく興味のないもので、父は私のことを何も知らなかったんだなと実感しました
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小学4年生で不登校になる。理由は今でもわかりませんが、学校へ行くと思うとお腹が痛くなりました
行かなきゃいけないことはわかるのに行けない。行きたくない
不登校を機に父親の機嫌が悪い日が増えたように感じていました
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薄っすらとした記憶ですが父親に嫌われていたように感じます。小さい私を抱っこするのを嫌がったり、その日の機嫌で優しかったり厳しかったり。私を馬鹿にしたりイジったりするのも好きで小学生男子みたいな人でした
父親に対して嫌悪感、恐怖、怒り
日々父親の機嫌を窺い、それを基準に行動していました。母親は優しかったため、母親が不在で父と二人きりだった日は子供ながらにとても緊張していて、別の部屋に逃げたりしていましたがそれもイジられたり非難されました。私の行動にいちいち大きな反応をする父親が苦手でした
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※ プライバシー保護のため、ご質問の一部を編集部で変更している場合がございます。
「誰かと一定以上仲良くなると心が疲れてしまいます」への回答
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wawa さん、こんにちは。臨床心理士・公認心理師の小野寺です。
ある程度仲良くなるとその人のことについて色々深読みしてしまうために心が疲れてしまうのでどうにかしたい、とのお悩みがあるとのこと、ご相談くださりありがとうございます。
このお悩みに関して聞いてみたいことは「何故浅い関係だった頃できたことが深い関係になった途端できなくなったり、色々と気にしすぎてしまうのか?」なのですね。
おそらく「深い関係」といっても、それが「友人関係」に留まっているからこそ「色々と気にしすぎてしまう」につながっているのだろうと思います。というのも、ある意味で「友人関係」が対人関係の中で最も中途半端な立ち位置だからです。
wawa さんのお悩みについて、まずはこの辺りから説明し、 wawa さんの心に何が・どういう理由で起きているのか、そしてそれを改善するために何ができるのかについて、私なりの考えを述べさせていただきながら一緒に考えていきたいと思います。
友人関係はとても中途半端な関係
まずは「友人関係」の中途半端さからご説明していきたいと思います。
wawa さんは「ココロジーの記事はとても好きでよく拝読しています」「自分と似た境遇の他の相談と回答も読んで自分なりに納得して記載されていた対策も試しております」とおっしゃってくださっておりますのでご存じかもしれませんが、対人関係は大きく3つに分けて考えることができるとこれまでにも何度かお伝えしたことがあります。
この考え方は wawa さんにも有益かと思いますので、改めてその3つをご紹介します。
このように、「自分」を中心に据えて、「自分への心理的影響力」が強い順番に並べていくとまず最近接する位置に家族やパートナー、親友など非常に親しい関係性の人がきます。この人たちをここでは「愛の関係」と呼びましょう。
そしてその次に友人が位置付けられます。これを「交友の関係」と呼びます。
最後に職場の人やよく行くコンビニの店員など顔なじみの人たちが来ます。これを「仕事の関係」と呼ぶことにします。
対人関係はおおよそこの3つのどれかに分類することが可能です。このように3つの関係があることを考えると、「交友の関係」に位置する友人関係は極めて中途半端であることがわかるかと思います。
家族のように血でつながっているわけでも、幼少期を長い時間ともに過ごしたわけでもない。家族であれば当然理解し合えていることでも、必ずしも友人はそうではない。
かといって、「仕事の関係」程ドライな関係でもありません。遊びに行くこともあれば仕事の愚痴を吐き合うこともあります。同じ趣味で盛り上がることもあります。
極端に言えば、「愛の関係」は繋がっている安心感が保障されていますし、「仕事の関係」は相手のことを知らずともビジネスさえ円滑に回ればそれで問題なく過ごせるドライさがあります。
ところが「交友の関係」は、「愛の関係」程の安心感はないし、「仕事の関係」みたくドライでいてはいけない関係でもある、極めてバランス感覚の難しい関係なのです。
このようなバランス感覚が求められる関係だからこそ、友人関係は距離感を計るために「この人って実際どんな人なんだろう?」と「色々と気にせざるを得ない」のです。
従って wawa さんが忙しそうにしている友人を見た際、「遊びたかったけど今は話しかけない方がいいな・・」と遠慮する気持ちが出てくるのは極めて自然な感覚なのです。この感覚を責める必要は一切ありませんので安心していただければと思います。
自信がないと距離を縮めることに抵抗が生じる
このように「友人関係はそもそも相手を気にするような関係」なのです。これは大前提となります。
とはいえ、もし wawa さんが「それはそうとしても、自分はあまりにも気にしすぎなような気がする」のであれば、その理由も考えていく必要がありますね。
キーワードになってくるのは「自信」ではないかと感じます。
直接的な言及はありませんでしたが、私は wawa さんが漠然と「自信のなさ」を感じておられるのではないかと感じました。「他者の心の内を気にしすぎてしまう」「私よりも親しい別の人と遊びたいに違いない」などの言及からそう感じたのです。
もし wawa さんが自信がないのだとすると、 wawa さんは相手に自分のことをこれ以上知られて失望されたりしたくないとの気持ちがあり、その気持ちから無意識に相手と距離を取ろうとしているのかもしれません。
wawa さんは大学で心理学を専攻しておられたとのことですから「投影同一視」を聞いたことがあると思います。
投影同一視とは、自分が「相手はきっと自分のことをこう思っているに違いない」と思ったことを、実際に相手がそうするように無意識に仕向けてしまう心の働きのことを言います。
例えば、「あの人は私を嫌っている」と感じた場合、無意識に相手に失礼な言動をすることで、本当に嫌われる結末を迎えるようなものが投影同一視です。本人は「ほらやっぱり。もともと相手は私を嫌ってたんだ」と思うので、自分が相手に失礼な言動を取っていたことになかなか気づけないのです。
今から申し上げるのは決して wawa さんを責めるものではなく、あくまで一つの可能性としてお聞きください。
wawa さんももしかしたら「以前よりも馴れ馴れしくなった私のことを相手は鬱陶しいと感じているかも・・」と思うことを通じて、本当に相手から「鬱陶しい」と思われかねない態度を取ることで、一定の距離を保とうと無意識に働きかけているのかもしれません。そうすることで、自分の自信のないところが露呈するリスクから自分の心を守っている可能性があります。
「これ以上関係性を深めたら危険だ」と思っているからこそ、ブレーキをかけるために「今まで気にならなかったことが気になるようになった」と考えられるのです。
「今まで誰にも「実は鬱陶しいと思っていたんだ」等言われたことはありません」とのことですから、幸か不幸か、 wawa さんの投影同一視はうまく行っていないようです。
しかし、相手からすれば「別に鬱陶しいと思っていないのに、鬱陶しいと思われていると思われている状況」は痛くもない腹を探られている状態ですから、愉快には感じにくいでしょう。この点については wawa さんも「相手にも失礼」とお書きなように、薄々気が付いておられるのだろうと想像します。万が一 wawa さんの投影同一視がうまく行ってしまったら、「実は鬱陶しいと思っていたんだ」といつか本当に言われてしまいかねません。
このリスクを回避するために、投影同一視をせざるを得ない理由となっている「自信のなさ」を改善することが重要なミッションとなってきそうです。
では次に、どうして自信がないのかを見ていきたいと思います。次のキーワードは「想像の世界」と「現実の世界」です。
「想像」によって自信を失っている可能性
wawa さんには「勝手な想像をする癖」があるとのことですが、これは友人に対してだけではなく、ご自身に対しても「勝手な想像をする癖」があるような気がします。そしてその想像を信じることで自信が失われて行っているような気もしています。
たとえば不登校を繰り返してしまったことで wawa さんはご自身のことを「自分は普通に生きていくことが出来ない無能なんだ」と思われたとのことです。他にもアルバイトを経験された際には「同年代だと自分は落ちこぼれ」と感じられました。
「無能」にせよ「落ちこぼれ」にせよ、私はそれは「勝手な想像」であるような気がします。
不登校になったからといって、その人が無能であることの証拠には絶対になりません。不登校は様々な要因が複雑に絡み合って結果として生じるものだからです。現に wawa さんの場合で考えてみても、中学2年生の途中でまた不登校になった際にはその直前に「親が離婚」という大きなストレス状況がありました。このストレスが不登校の理由の一つになっていないとはとても考えられません。
アルバイトが同世代と同じくらいできなかったとしても、それも「落ちこぼれ」である証拠にはなりません。 wawa さんが「落ちこぼれ」と感じていただけで周りはそんな風に考えていなかったかもしれないし、たまたま wawa さんの得意ではない作業をしていただけかもしれません。
「自分を無能と思ったり落ちこぼれと感じていたのは過去のことで、今はそう思っていない」ということもあるでしょう。しかし、「私よりも親しい別の人と遊びたいに違いない」などの言及はそんな過去の影響を少なからず受けているような印象を受けるのです。自分を下に見る癖がついているように感じます。
「勝手な想像」によって自分を下に見る癖のために自信が失われるのであれば、それはとてももったいないことです。
何も根拠がないのに自分を悪く感じ、そのことで友人関係に壁ができ、結果として「心が疲れて」しまっているからです。
wawa さんの自信のなさは「想像の世界」の住人になっていることが関係しています。この世界から引っ越すことが、自信を取り戻す方法となりそうです。引っ越し先は「現実の世界」です。実際に何が起きているのか、友人は実際には何を思っているのか。想像よりもそちらを優先するのが「現実の世界」の住人になることを意味します。
そのためには何をするべきでしょうか。それにまつわる次のキーワードは「コミュニケーション」となるでしょう。
コミュニケーションを取ることで現実に触れる
「想像の世界」にいると、あれやこれやと様々な考えが頭によぎります。それが楽しく幸せなことばかりならいいのですが、そうとは限らないのが「想像の世界」の怖いところです。
実際「今は話しかけない方がいいかもしれない」「自分だけが仲良くなった気でいるだけかもしれない」「本心では嫌なのかも」など、様々な不安な想像が wawa さんの頭によぎっています。
このような想像が悪いわけではありません。仮説や可能性を考えることができるからこそ、未知の体験ですらある程度の予想が立ち、問題解決を図ったり、予防をしたりができるからです。
しかし、あまりにも想像が自分を傷つけるものであったり、その想像の確からしさを確かめないままでいればそれは問題になってきます。
そんなときは「これは想像に過ぎない」と、その想像を信じすぎないことを選択したり、「確認しよう」と想像と現実との差を埋める努力が必要になってきます。
友人関係においてこの努力の一つの形が「コミュニケーション」です。
「そのコミュニケーションが怖いから困ってるんだ」と思われたかもしれませんね。しかし、コミュニケーションを取らないからこそ、相手のことがわからずに怖くなるのです。一歩踏み出すのは怖いことではありますが、踏み出しさえすれば、恐怖も和らぎます。
先述した通り、友人関係は極めて中途半端であいまいな関係性です。原理的にどうしても相手のことが気になってしまうのです。
だからこそ、その気がかりをコミュニケーションによってハッキリさせ、「ああ、この人はこういう人なんだな」と認識し、適切な距離を計ることが求められます。
「遊びたかったけど今は話しかけない方がいいな・・」と想像した折には、もちろんケースバイケース本当に話しかけない方がいいこともありますが、もし「仲良くなる前は遠慮なく誘えていた」だろうなと思えるシチュエーションであれば、そのときのありのままの気持ちを聞いてみてもいいのです。
「遊びたかったんだけど、もしかして今ってそんな暇ないくらい忙しかったりする? 邪魔したくないから正直に教えてくれて大丈夫だからね!」
みたいな感じでしょうか。
このような気持ちを伝えることで、相手から何かしらのリアクションが返ってきます。そのリアクションを通じて、相手との適切な距離をつどつど計っていくのです。
「『自信がないから相手を近づけたくないのかもしれない』みたいなことを言ってたじゃないか。コミュニケーションなんかとってしまったら距離が近くなって大変なことにならないのか?」と思われたかもしれませんね。しかしそんなことはありませんのでご安心ください。
なぜなら、人は人との効果的なコミュニケーションが取れたとき、それが「自信」になるからです。
「自分の素直な気持ちが明らかになった。明らかにできた気持ちを伝えられた。」
こういうことが何よりの自信につながるのです。自分の気持ちは自分だけのもので、それを他でもない自分が肯定することは「自分を誇る」気持ちにつながるからです。特に wawa さんは「友達と仲良くなれたことをもっと喜びたい」と希望なさっておられますので、その契機となるきっかけを自ら作れたことは何よりの自信につながるでしょう。
コミュニケーションを取ることで、「想像」がいい意味で裏切られ、「現実」に向き合うことができれば、それはそれでまた「自信」になります。「断られるって思ってたけど、遊べることになった」と嬉しい体験になるかもしれないからです。
もちろん、人間関係ですからいつもいつもうまく行くとは限りません。当然、案の定断られてしまった、ということもあるでしょう。しかし、相手の断り方などから相手との適切な距離が計れればそれは一つの収穫です。自信を損なう必要はないのです。
以上のように、コミュニケーションを取って相手の実際の反応を見つつ、相手との適切な距離を計っていく(「想像の世界」から「現実の世界」へ引っ越していく)ことで自信をつけていけば、投影同一視をして相手との距離がこれ以上縮んで自信の無さが露呈してしまう怖さを感じる必要がなくなるでしょう。これが私の考えです。
wawa さんにとって、もしかしたら「想像の世界」から引っ越してコミュニケーションをとることは勇気のいることかもしれません。
しかし、ココロジーに相談してくださるほど、友人関係をどうにかしたいと思っておられるくらい強い思いのある方だと思います。そんな wawa さんですから、最初の一歩を小さめにでも踏み出せば、後はその強い思いが引っ越しを手伝ってくれるのではないでしょうか。
心が疲れてしまわないような良い友人関係を築いていけるよう応援しております。
最後までお読みいただきありがとうございました。