「どうせみんなアイツにしか期待してないでしょ…」
「こんなことSNSにアップしても誰も私のことなんてなんとも思わないよね…」
周りの人と比べて自分が劣っていると感じたり、そのことが頭から離れずひとり悩み込んでしまうのは辛いよね。
劣等感は自信のないことに由来する自己否定な感情だけど、自信がないこと以外にも影響するから、苦しんでる人は本当に生きづらいと思う。
そんな不愉快な劣等感は簡単には克服できないけど、そもそも克服しなくても生きやすくなる可能性があるんだ。
自分の劣等感をより深く知って、自信がないままでも生きやすくなる方法を紹介するね。
目次
そもそも劣等感って何?
劣等感は「自分が他人より劣っている」という主観的な感情だよ。主観ということは、それが事実かどうかは関係なくて、自分がそう思ってしまったらそれはもう劣等感なんだ。
劣等感を持ってしまうと自分への自信がなくなり、自己否定、自己嫌悪、疎外感…と慢性的にネガティブな思考サイクルに陥ってしまうので、辛いだけでなく厄介でもあるんだよね。
心理学者のアドラーは劣等感をより細かく区別して、次のように分類したんだ。
①具体的事実「劣等性」
「視力が悪い」「背が低い」「所得が少ない」などの具体的事実として劣った(と思われやすい)性質を劣等性と言うよ。何が劣っているかというのは時代や社会性によって変化するもので、本来は「◯◯は劣っている」と決められるわけではないから、一般的なこととしてイメージしてね。
②主観的な感じ方「劣等感」
劣等感は主観的に「自分は劣っている」と感じることだよ。つまり、たとえ劣等性を持っていたとしても、それを劣っていると感じなければ劣等感は生まれないし、逆に優れていることでも劣っていると感じれば劣等感になるんだよ。
劣等感が厄介なのは、自分が劣っていると感じるだけでなく、自分への自信の喪失につながってしまうことで、自由な行動に制限がかかりやすくなってしまうんだ。
劣等コンプレックス
劣等コンプレックスは劣等感と混同されがちだけど、アドラーは明確に違いを指摘しているよ。
劣等コンプレックスは劣等感があることを理由に人生の課題に向き合えない状態なんだ。つまり、劣等感自体は不快ではあるものの、それ自体が人生を悲観することにはならないんだね。
劣等感をバネにして努力すれば劣等性は成長するためのエネルギーになるけど、自分の劣等感を何かができない理由にしてしまえば、それはコンプレックスになるんだ。
なぜ劣等感を感じるのか
上手に絵が描けないことに劣等感を感じる人もいれば、自分の下手な絵を人に見せてニコニコしている人もいるよね。
何を劣等感と感じるかは、その人の性格や社会的影響、行動のクセなどが関係しているみたいなんだ。
完璧主義
自分を「劣っている」と感じるということは、「優れている」基準がどこかにあるということだよね。
誰かと比べて劣っていると感じる場合もあるけど、「自分の理想像」と比較して劣等感を感じる人は、目指すレベルが高い「完璧主義」な可能性があるよ。
完璧主義は、テストで80点取っても90点取れなかったことを悔しがるような成果を求めるものもあるし、自分の発言を間違いなく相手に伝えるために、時間と準備をかけて言葉を選ぶような慎重さとして表れる場合もあるんだ。
すべてにおいて完璧である人はいないし、そもそも「完璧」という状態も誰かが主観的に決めることだから、「完璧である」ことも「劣っている」ことも本来は自分でその度合いをコントロールできるものなのかもしれないよね。
「自分は完璧主義だ!」と感じる人は、下のページを見てみてね。
比較社会
優劣は自分の理想や他人と「比較」することで測られるものだよね。今の社会は小さい頃から比べられる状況がたくさんあるから、どうしても劣等感を感じやすいんだ。
小さい頃から劣等感を生みやすい状況をまとめてみたよ。
■褒める・叱る
親は我が子に自信を持ってもらいたいから何かができたら褒めて、悪いことをしたら繰り返さないでほしいから叱る。→「良い・悪い」の価値判断が生まれる。
■資本主義による競争社会
今の資本主義では競争することで報酬に差ができるため、学歴の有無や仕事の出来不出来が、収入だけでなく社会的なステータスとして作用する。
今の時代は至るところに比較する状況があるから、劣等感を感じやすいのは必然といえば必然だし、ありのままの自分でいることがとても難しい時代なんだよ。
器官劣等性
事実と関係なく「劣っていると思い込むこと」で劣等感は生まれるけど、実際にどうしても劣っていると感じることもあるよね。
たとえば視力が「悪い」とか「弱い」ことを、優劣が出ないような言葉で説明するのは難しいと思う。
器官劣等性はどうしても優劣が起きてしまう性質のものを指す言葉だけど、器官劣等性が多かったり、そのことに対して大きなトラウマを持っている人も、劣等感を感じやすくなるんだ。
反すう
劣等感を感じる理由は、自分の劣等感とは関係のないところでも起きているみたいだよ。
劣等感は自分の劣等性に注目し、それを「劣っている」と感じることで劣等感になると説明したけど、大妻女子大学の研究では、劣っているということを頭の中で「反すう(繰り返す)」すること自体が、劣等感を強化するだけでなく生み出していると指摘しているんだ。
人前でうまく話せなかった場合、それ自体は「失敗体験」かもしれないけど、時間が経ってからも自分のスピーチを振り返ることで、「失敗」は「劣等感」に変わるということなんだよ。
同研究はさらに振り返りの仕方によっても劣等感が変わることを報告しているんだ。
同じシチュエーションで考えると、失敗したスピーチを振り返るときに「なんであんなことを言っちゃったんだ」と、ただ起きたことを頭の中で繰り返すことは劣等感になりやすいとし、あんなことを言ってしまったことを振り返った上で「今度はこうしてみよう」と省察することは、劣等感につながりにくいだけでなく劣等感を減らすんだって。
失敗したり自分が劣っていると感じることはあくまできっかけで、その後どうするかが重要なんだね。
人はどんなことに劣等感を感じやすいのか
劣等感と言っても、何に対して自分が劣っていると感じるかは人それぞれだよね。
ここでは、いくつかの研究から人が劣等感を感じやすい項目をまとめてみたよ。劣等感を感じる項目ということは、人と比較しやすい項目とも言えるんだ。
自分はどんなことに劣等感を感じやすいか、その劣等感は本当に人と比較するべきことなのか、そんなことを意識しながら見てくれると嬉しいな。
劣等感が強い人の考え方
失敗や劣っていると感じただけでは劣等感にはならず、頭の中で反すうすることで劣等感になることは説明したよね。
劣等感を感じやすい人には次のような特徴的な考え方があるんだ。
劣等感を感じやすい人の特徴
- 少しの批判を気にして長い時間落ち込む
- できたことよりもできなかったことに目が向きやすい
- いつも誰かの目を気にして行動している
- 不十分と感じる能力があると自分の存在価値まで低く感じる
- 受け入れられない本当の自分を隠している
- 嫌われないために人に合わせることが多い
- 自分を他人の一番良いところと比べる
- SNSを見ると他の人が幸せで成功していると感じて惨めになる
劣等感を感じる時間が多ければ多いほど、不安や抑うつ状態になりやすくなるから注意が必要だよ。他人と比べて落ち込むことが増えると社交不安になりやすいし、劣等感が自己肯定感の低下を招き、それが続くとうつ病の発症にもつながりやすくなるんだ。
劣等感をただの思い込みと思わず、本当に辛くなる前に誰かに話したり、専門家に相談するようにしてね。
どこに相談していいかわからない場合は、こっちの記事で相談できる機関を詳しく説明しているよ。
劣等感をやわらげる・何もしない編
自分が「劣っている」と感じることを「劣っていない」と思うのは無理のある話だよね。それは「大嫌いな甘いニンジンを無理やり美味しいと思って食べる」ことと同じだよ。
まずは「甘いニンジンが嫌い」ということに対して何も評価しないで向き合うことから始めてみよう。
受け入れる
劣等感は自分が優れていないと感じることだから、必然的に不愉快だし、できればそういうことは考えないようにしたいよね。実は、劣等感を感じている人はその不愉快な感覚から、劣等感を感じている自分を見ないようにしていることが多いんだ。
アドラーは「不完全な自分を認める」ことが大事だとし、多くの人は不完全な自分を見たくないから、相手を攻撃したり、誤魔化したり、自分ができることだけを過剰に自慢したり、一つの劣等感をすべてのできないことの理由にすることで、劣等コンプレックスの状態をつくると言っているよ。
自分の劣等感を見ないことは、文字通り状況を複雑(コンプレックス=complex)にさせてしまうんだ。
とはいえ、自分の認められない部分に向き合うことは体力も必要だし、まだ見たことのない自分を知るのは怖いよね。「いつか気持ちに余裕がありそうなときがあれば向き合ってみる」くらいに考えられれば十分だし、他にも次で紹介する「外部に目を向ける」ような対策もあるから、今の自分がちょっとの時間と余裕と勇気を持つだけでできそうなことから試してくれたら嬉しいな。
共感してもらう
「自分が劣っているかもしれない」と感じることを人に話すのは抵抗感があるよね。誰だって自分の弱みや好きでないところはできれば隠しておきたいもの。
でも、その「秘密」が自分だけでなくみんなの劣等感を強くしてしまう可能性があるよ。
劣等感は「自分だけが劣っている」と感じることによる自己否定だけど、自分が劣っていることについて誰かに相談したり共有しなければ、劣等感は永遠に自分だけの秘密になり、秘密であるかぎり「自分だけが劣っている」状態が続いてしまうんだ。
自分が一番仕事ができないと思っていたのに、同僚から仕事がうまく行かないことを相談された場面を想像してみて。相手に同情したり励ましたりする人もいると思うけど、同時に少しホッとする気持ちがあることにも気づくんじゃないかな?
「自分だけじゃない」と思えるのは大事なこと。そのためには共有することが欠かせないんだ。
もちろん自分の好きでない部分を積極的に話すのは勇気がいるし、話す相手を選ぶ必要もあると思う。信頼できる人がいて、ちょっとでも話してみようと思えるときがあったら、自己開示して秘密を打ち明けることも思い出してほしいな。
あなたの劣等感は何?共有してみよう!
無理やりポジティブにならない
「劣等感を向上心につなげよう!」なんて聞くこともあるよね。だからといって無理やり努力したり明るくふるまう必要はないよ。
ウォータールー大学の研究では、ポジティブ・シンキングや「自分はできる!」と思い込ませることは、自己肯定感が強い人には有効である一方、低い人には逆効果であることを指摘しているんだ。
これは「自分がどんなことをどの程度受け入れられるか」ということが問題で、たとえば「頑張ればオリンピックに出れるよ」という励ましも、10歳と40歳の人に言うのでは違うだろうし、長年練習してきた人と始めたばかりの人では受け取り方に差ができるということなんだね。
「自分はできる」と思って元気になれる人はいいけど、もしそう思えないとしても、まだ自分はポジティブになるための言葉を受け取る状態ではない、というだけのことなんだ。
人にはそれぞれ段階もあるし心地良いと感じるスピードも違うよね。無理やり自分に何かを課すのではなく、今の状態を受け入れることから始めてみよう。
劣等感をやわらげる・外に目を向ける編
劣等感はどうしても克服したいと思うものだよね。でも完璧な人間はいないし、そもそも劣っている部分を全部改善する必要があるかどうかは誰にもわからないんだ。
ここでは、自分の劣等感を克服するのではなく「変化」させることに注目してみるよ。
良いことを見つける習慣
劣等感が強い人は自分が劣っていると感じる部分に注目が集中し、それを繰り返すことでさらに劣等感を強化してしまうと説明したよね。
「じゃあ自分の良いことを見るようにすればいいの?」と考えられそうだけど、無理やり良い部分を見るのは自己肯定感が低い人には逆効果という話もしたよね。
まずは自分ではなく日々の生活の中でポジティブな部分に注目する習慣をつけることから始めてみよう。
「ポジティブ」というのは肯定的という意味だけど、「好き」「便利」「美しい」ことなどに着目するのがおすすめだよ。
■好き
同僚や友人の優れたところではなく自分が「好き」だと感じること
■便利
通勤途中や職場、家にいるときなどに「これって便利だなぁ」と感じること
■美しい
街路樹に咲く花や整頓されている場所など「綺麗だなぁ」と感じること
ポイントは自分の劣等感とは関係がないということだよ。
自分が何に注目するかというのは習慣やクセの問題でもあるから、通勤の帰りや寝る前の1分でも良いから振り返る習慣をつけてみてね。
挑戦する
「挑戦」というと勇気が入りそうだし困難がありそうだけど、もっと簡単に「普段とは違うことをやってみる」感覚だよ。
劣等感が強い人は、どうしても自分の足りない部分に意識が向かってしまい、足りないからこそ失敗するかもしれないと恐れるから、「何もしない方が安全」と考えて同じ行動を取ってしまいがちなんだ。
それはそうだよね。わざわざ自信のない失敗しそうな行動をするのは誰だって避けたいよね。
ここでいう「挑戦」は、劣等感により避けていることに思い切って立ち向かうというよりは、安全性を確保した上で少し新しいことをしてみる、という意味で考えてみて。
たとえば体力や体重が気になる人だったら、いきなりジムに行って人前でハードな運動をするのではなくて、電車通勤であれば普段と違う改札口から出て、誰にも知られずにいつもより少し多めに歩くみたいなことだよ。
あくまで劣等感を克服するのではなく、同じ行動をしてしまう習慣を変えるような感覚だね。
貢献する
評価は決して悪いことばかりではなく、努力を認めてもらうことや、現時点での自分の居場所を知り、足りないものや伸ばすべき部分を明確にするには効果的な方法の一つだよね。小さい頃から社会人に至るまで、多少なりとも人と比較することで評価する社会システムをなくすのは難しいと思う。
システムとして「比べる」ことを完全になくすことはできないけど、個人的に人と競争しないで済む方法が「貢献」なんだ。
貢献することは、自分が成功するのではなく相手の成功を助けることになるから、そこには競争意識が生まれず、誰かの成功や失敗を自分のものと比べにくくする作用があるんだよ。
それに、貢献すると相手から感謝されるよね。感謝されると自己効力感が育まれて、「自分は大丈夫なんだ」「自分には価値がある」という肯定感につながるんだ。この「自分は誰かの役に立っている」感覚をアドラーは共同体感覚といい、対人関係に由来する悩みから自分を解放するのに大切だと言っているんだよ。
アドラーについてもっと知りたい人は、こっちのページで詳しく説明しているから見てみてね。
劣等感は克服しなくていい
劣等感は人と比べることから生まれる自己否定の感情の一つだよ。劣等感自体は悪いものではないけど、どのように向き合うかによって成長する糧にもなれば、自分を苦しませる感情にもなるんだ。
劣等感があるからといってすべてがダメなわけでもないし、だからといって劣等感は無視していればいいということでもないよね。
無理やり克服しようとしたりポジティブでいようとするのではなく、劣等感を自分の一部と受け入れて、劣等感とともに少しずつ歩んでいくことが重要だよ。