「ルッキズムが怖い。外見を気にしてしまうのをやめたい」の相談内容詳細
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いまストレスを感じている「出来事」を事実ベースで抜き出してみてね。
「いつ・どこで・誰が・何を」を意識するのがコツだよ。
- ①都会や街中に出かけると、可愛くてオシャレな女性がたくさんいる。
好みの女性を見かけると憧れの気持ちが溢れ、自分と比べて落ち込んでしまう。
メイクやダイエットなどたくさん努力したが、努力しても変えられない部分(生まれ持った造形)を受け入れられない。
近年にプチ整形もして少し自信がついたが、未だに自分を可愛くないと感じてしまう時がある。
②子どもの頃から地味と言われて育った。母からは「せめて二重に産んであげたかった」「あんたは美人ではないけど、絶対ブスじゃない。普通の顔だから安心して」と言われていた。
地味で普通=あまり可愛くないと言われているように感じて嫌だった。
学生時代にダサいと陰口を言われていた影響もあってか、外見へのコンプレックスが常にある。
③「可愛いは正義。女は可愛ければ許される」「イケメンは性格も頭も良いはずだ」「あの人絶対に童貞って感じで可哀想」などと極端なことを口にする女性Aさんがいる。
彼女の外見には女性らしい可愛さがある。地方を出て都会暮らし、職もあり、結婚もした。
わがままや他人を馬鹿にする発言を平然としながらも、欲しいものを着実に手に入れていく彼女の言動や価値観にイライラしてしまう。
ネット上でもルッキズムな記事を見かけると苦しく感じる。スマホの普及により、色々なものが写真に残る社会が怖い。 - 「1」についての「感情」を%で表現してみてね。合計で100%にならなくても大丈夫。直感で書いてみよう。
- 悲しみ40%、怒り20%、焦り20%、苦しみ20%
- 「1」について浮かんでいる「考え」を教えてね。
- ・子どもの頃は見た目よりも内面と思っていたが、10代以降になると見た目の優劣による待遇の差を感じ始めた。
「アイツはダサい、ブスだ」と言われることや悪目立ちが怖くなった。可愛くならなきゃと思うようになった。
・美容やオシャレに興味を持ってからは、次第に外見を磨くこと自体が楽しくなった。
しかし努力でも改善が難しい部分…元々の造形の優劣を気にするようになり、可愛い服が着られる顔が欲しいと思うようになった。
・旦那や友達から「綺麗になったね、可愛いね」と褒められても、今の自分の見た目にそこそこ満足していても、心のどこかでなりたいイメージを追い求めてしまう。
(美しい人なら誰でも憧れるというわけではなく、例えば芸能人なら吉岡里帆さんと理想がはっきりしている)
綺麗な美貌を持つ人への憧れを捨てられずにいる。
・育った環境内で、女の子らしい服やピンク好き、わがままな子=ぶりっ子と嫌わる風潮が強くあった。
その影響で「個性的で、自己主張も強くてワガママだと嫌われる、目立たないようにしよう」という価値観を持つようになったのではないかと思う。
③の女性Aさんは、私が育った環境ではぶりっ子と嫌われていたものを好む。さらに外見で人を判断して見下すような発言。そこに価値観の違いや不快感を抱くのかも。
好みや考え方は人それぞれと頭では分かっているつもりでも、イラッとしてしまう自分が嫌。 - いろんな視点から捉えるために、上記の回答の「別の可能性」を考えてみよう。
- 外見はその人らしさや印象を作る要素のひとつ。世の中には外見をほとんど気にしない人もいる。周囲に見た目で判断する人がいて、気にしすぎてしまっていたのではないか。
今の自分のファッションもわりと気に入っているが、他のテイストも着こなしたいと思うのは、自分に自信がないので変身願望があるのかも。
様々な物事に対して「良い悪い」「正しい正しくない」という軸で考えてしまう癖がある。なので好みの違いや個性的なものを「そういう価値観もあるかも」と受け取れず、モヤモヤするのではないか。
勉強、部活、仕事、人間関係、何に関しても、もっと努力しなければという焦りを感じてしまいがち。美容も同じように、欠点(顔)を直さないといけないという、完璧主義や強迫観念に近いものがあるかもしれない。
可愛いとされる顔立ちやファッションには流行があり、時代によって異なる。今は親しみやすさ、幼い雰囲気が可愛いとされやすい。
その影響を受けて、自分は老け顔と言われるから可愛くないと思ってしまうのではないか。
身なりを整えて清潔感を持つことは大切だが、見た目に固執するのは違うと思う。
具体的にどうしたらいいのかは分からないが、なりたいイメージを追い求めるのではなく、今の自分の良さを受け入れる方向に気持ちが向いたら良いのでは。
見た目以外で、自分に自信を持てるものができると良いかもしれない。 - いま専門家に聞いてみたいことは?
- ①なりたいイメージの外見に、なぜここまで執着してしまうのか自分でも分からずにいて困っています。
もっと可愛くなりたいと、外見を過剰に気にしてしまうのをやめたい。ルッキズムを気にしないようになりたい。
②例えば私の場合は濃いピンク色や個性の強い服に苦手意識があります。そして、それらを好む人にも苦手な傾向があるように思います。苦手と思わないようになるにはどうしたら良いでしょうか。
可愛いと感じるものは人それぞれ、気にせずに生きられるようになりたい。 - 年齢、性別、職業
- 29歳、女性、接客業
- 既往歴
- 特になし。
- 悩みの内容の自由記述
- 自分史を書いてみて、すっかり忘れていた昔の出来事を無意識に引きずっていたのかもしれないと気づかされました。
書いていくうちに、自分を押さえつけていた価値観が色々あるように思います。
柔軟に物事を考えて、受け入れられるようになりたいと思いました。
長文になってしまって申し訳ございません。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
どうぞよろしくお願いいたします。
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30歳まで
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28
美容整形外科でプチ整形した
もっと可愛くなりたい、可愛い服が着られる顔がほしい。女性らしくなりたい。
美容やメイクが好きなので、色々なメイクを楽しみたい。そんな思いから、美容整形外科で二重埋没などの施術を受けた。
今まで職場や他人にバレたらどうしよう、お金どうしようと尻込みしていたが、何を言われてもいいから自分の好きなように生きたい、もう何年も悩み続けたくないという気持ちの方が強くなった。自分の顔を前よりも好きになれてメイクが楽しくなった。スキンケアで自分を労ることも嬉しいと感じるように。
今の顔にそこそこ満足している気持ちと、もう少しだけ理想に近づきたい気持ちがせめぎ合っている。
綺麗な輪郭、細い鼻筋、柔らかい印象の目元。お洒落な女性を見ると、あんな風になれたら…と感じてしまう。
好みの外見になりたい、強いこだわりに悩んでいる。可愛くなるにはお金が必要だと焦りもある。
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27
職場が変わった
職場の女性パートさん(40~50代)に憧れの人ができた。
趣味を楽しんでいる(けれど趣味・好みを周囲に押しつけない)人、明るく話好きでトークが上手な人など、魅力的な人がたくさんいる環境。
何より、人柄が温かく優しくて仕事もでき、周囲から慕われているパートさんの存在に、こんな風に年齢を重ねていきたいと思うように。年齢を重ねていくと内面がどんどん重要視されてくると実感するようになってきた。
また、あるイメージコンサルタントさんが「20代の頃より30代になってからの方が出来る事が増えて楽しい。歳を重ねるって楽しいよ」と話していたのが印象的で、励みの言葉になっている。
明るく朗らかな女性になりたい、年相応に成長したいと思った。
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27
イメコン診断を受けて、さらに美容やオシャレに興味を持つようになった。
美容についての情報を求めてSNSにのめり込んだ。メイク練習やダイエットに励み、変化が楽しいという気持ち。
だんだんメイクやダイエットといった努力にも変化の限界を感じて、これ以上は努力だけでは可愛くなれないという苦しい気持ち。
SNSを見て、仮に加工だとしてもオシャレな人ばかりだと憧れる気持ち。
複雑な気持ちがたくさんあった。自分が楽しい嬉しい好きだと感じられることを、思いきりやってみることの大切さを実感。
正しいか(思考)よりも楽しいか(感情)を優先していいんだ、と自分軸で動く感覚を少しずつ感じられるようになってきた。
魅力とはなんだろうか、外見と内面の両方に悩むようになってきた。
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26
イメコン(パーソナルカラー診断や顔タイプ診断など)を受けた
自分は地味でブスだからオシャレしても可愛くなれないと思っていた。
けれども自分にも似合う服がある、工夫すればフェミニン(女子アナ系)な服も着られると知って嬉しかった。
ただ、心のどこかで一度は着てみたい可愛い系統は似合いづらいことを再確認してモヤモヤした。
結婚式前にもっと早く診断を受ければ良かったと思った。年齢が30代に近づき、落ち着いたシンプルな服を好むようになってきた。自分らしいとも思うし、しっくりくる。年齢が顔に追いついてきたとも感じる。
今のファッションが好きだと少しずつ感じられるようにに。可愛さより上品さを意識し始めた。
一方で未だに童顔で甘い顔やフェミニンな服に強く惹かれることも時々あって苦しくなる。
何でも似合う人こそ可愛い、という価値観に囚われている気がする。
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20歳まで
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20
友人との交流、初めて彼氏ができる。オシャレがより楽しくなった。
行動範囲が広がり、アルバイトも始め、オシャレに時間とお金を使えるようになったことが本当に嬉しかった。
友人と遊びに行く度に、ひたすら服やコスメを見て、カフェ巡りを楽しんだ。
初めて彼氏ができて、頻繁に可愛いと言われるようになった。こんな私が可愛いの?と驚いたが、とても嬉しかった。少しずつ嫌いだった自分のことを受け入れられるようになっていった時期だったと思う。
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「ルッキズムが怖い。外見を気にしてしまうのをやめたい」への回答
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あんみり さん、ご相談をよせてくださりありがとうございます。臨床心理士・公認心理師の小野寺です。
ルッキズムが怖い一方、自分や他者に対する評価がどうしても「外見」を気にしたものになってしまっているのですね。
確かにルッキズムは残酷で恐ろしいものです。
本来自然界には「美しい」も「醜い」もありません。森羅万象すべてが平等に、あるべき姿でただ存在しているだけです。
しかし、社会環境や文化的背景によって人間は恣意的に「これが美しさだ」と決めてしまうことができます。しかもその決定は集合的無意識レベルで決められてしまうため、どうしてそれが美しいと言えるのか、その基準を誰も持っていません。
にもかかわらず、その美しさの枠組みから外れたものを排斥する力は強力に働きます。SNSに少しでも触ればその残酷性は一瞬で把握できます。
女性の美しさで言えば、みな一様に「ぱっちりとした目」「凹んだお腹」などといった特徴を持っています。あたかもその枠組みから外れたものは「醜い」と言わんばかりです。
ルッキズムは、枠組みから外れてしまったものに対してだけ牙をむくのではないところが、また更にその残酷性に拍車をかけています。運よく「これが美しさだ」の枠組みの中に入り込むことができたとしても、その喜びは極めて儚いものだからです。
美を手にしたのも束の間、次の瞬間にはあらゆる不安と戦う羽目になります。
いつ自分より美しい人が現れるかわからない。
いつ美の基準が変更されるかわからない。
どのように美の基準が変更されるかもわからない。
いつまで自分が美をキープし続ければいいかもわからない。
そもそも年を取ったら失われる美も多く、キープできるのかもわからない。