電話に出るのが怖くて、つい無視してしまう

2023.05.09 Tue
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目次

回答したカウンセラー

小野寺 リヒト

臨床心理士/公認心理師

小野寺 リヒト

臨床心理士・公認心理師。FP2級所持。
医療機関や一般企業の産業保健事業部等での勤務経験があります。心の悩みが気兼ねなく相談できたり、セルフケアの重要性が浸透した世の中になってくれたらいいなと思っています。読書と料理が好きです。
【得意な相談】
〇気分の落ち込みや不安に関する相談(上手な気持ちの切り替え方、最初の一歩になる行動の踏み出し方等)
〇人間関係に関する悩み(パートナー・親子・職場関係・友人等)
〇お金の相談(ついお金を使ってしまう心理、貯蓄・節約のこと等)

「電話に出るのが怖くて、つい無視してしまう」の相談内容詳細

相談者
相談者 もにゃ
いまストレスを感じている「出来事」を事実ベースで抜き出してみてね。
「いつ・どこで・誰が・何を」を意識するのがコツだよ。
現在新しいビジネスを始めるにあたり、親会社的なところと電話のやりとりをしているが、だんだん着信を無視するようになり、折り返しもしなくなってしまった。
ある週の木曜・金曜と仕事関係の電話が(同じところから)2回ずつ来たが、着信を無視してしまった。
次の週の火曜にも同様のところから2回電話が来たが、出ることもせず折り返しもしていない。
家族の携帯に連絡が行き、「電話に出てもらえず困っていると言っていた。電話にはきちんと出なさい」と言われた。

病院の予約や役場への相談などの電話も、オンラインで済ませられるものは極力そうする。
どうしても電話をしなければいけない場合は、自分の話すことを頭の中で何度も反芻して、通話ボタンを押す前に深呼吸しないと落ち着いてかけられない。
特に問題なく話せたとしても、通話後、緊張状態が続く。しばらく震えが止まらなかったり、ひどい時は頭痛が起きたりすることもたまにある。

先日ゲームの中でキャラクターから電話がかかってくるというシチュエーションがあり、着信音を聞いた瞬間に心臓がヒヤッとして「電話?!やめて!」と思った自分がいて我ながら驚いた。かかってきた電話は「やあ元気かい」程度のどうとない内容だが、それが分かってもゲーム内で電話が来るたびに、途端に不安な気持ちになる(だんだん薄れてはいる)。

家族や友人知人との電話は全く問題なくリラックスしてできる。
「1」についての「感情」を%で表現してみてね。合計で100%にならなくても大丈夫。直感で書いてみよう。
「もう嫌だやめて」70%、情けなさ80%、恐怖80%、怒り10%
「1」について浮かんでいる「考え」を教えてね。
昔から電話は好きではなかったが、最近電話嫌いに拍車がかかっている気がする。
恐らく新しい仕事を始めるにあたり親会社的なところと連絡をとらねばならなくなったころ(2年前くらい)からかと思う。

昔は細かい台本を用意して電話をかけていたが、読み上げるときに噛んでしまったり、口から言葉を発しているだけで何を言っているのか頭であまりついていけない感覚があり、やめた。


「電話がイヤだ、怖い」という気持ちが強いが、昔から「会話中に素早く自分の考えをまとめて言う」「素早く適切なレスポンスを返す」のに苦手意識があるのが原因かもしれない。
また、喋り言葉のみで情報を伝達するというのが苦手で、表情やジェスチャーが使えない電話でのやりとりに不安を感じる。
他にも、自分の教養のなさに恥ずかしさを感じているため、自分が内容をあまり理解できないときに、わかったふりをしてしまったりウソをついてしまうことがあり、後々苦労する。

今は「電話に全然出ない、折り返しもしないで私はダメな人間だ」という気持ちでストレスが上乗せ。


自分勝手なことを言っていいのなら、正直「メアド知ってんだからメールしてくれ」と思う。怒り10%というのはこれです。
いろんな視点から捉えるために、上記の回答の「別の可能性」を考えてみよう。
頭の中で電話への恐怖が膨張していたり、過敏になっているだけなのかもしれない。
だとしたら「過敏な状態を治す」ことで、電話にストレスをそう感じることなく過ごせるようになるのかな。
どうやって治すのだろう。

また、電話どうこうというのは本当の問題なのでなく、本当の問題が引き起こしている結果のひとつなのかもとふと思った。
だとしたら本当の問題というのは…「人と話すことへの苦手意識」とかなのだろうか?
いま専門家に聞いてみたいことは?
極端に電話に臆病になっている現状を改善するために、何ができるでしょうか?
年齢、性別、職業
27歳、女性、個人事業主
既往歴
なし
悩みの内容の自由記述
書き表してみて、自分はなんて子どもっぽいんだと思った。
「話が理解できなかったらどうしよう」
「うまく言葉を返せなかったらどうしよう」
怖い、逃げたい、と感じる心が子どものころのままのような感じ。
就職活動も一般的な会社勤務もしたことがないから仕方ないのかな。

夫は私の電話嫌いを知っていて、
電話をするときに手を握ってくれたり、終わったらハグして癒してくれたりする。
そういったサポートは精神的にとても助かる。
それでも電話をかけるときに緊張してしまうことには変わりないので、
新しい仕事をしっかり全うしていくためにも克服したいと思う。
ココロジーさんからのアドバイスを聞いてがんばるぞ!泣
相談者 もにゃ さんの自分史
  • 30歳まで

    • 27

      ココロジーの自分史づくりが楽しくて、ついたくさん書いてしまいました。
      読むのが大変でしたらすみません。

      でもご相談にのっていただくときの参考になりましたら幸いです!

    • 27

      中学時代からずっとやりとりしている友人がいるが、「今度一緒に旅行に行こう」と誘われたときに「行きたくないな」と思ってしまった。
      近くで用があるからついでに会って遊ぼうとも誘われたが、断ってしまった。

      友人に会うために外出するのが面倒くさいと感じた。
      家で夫のとなりでのんびりゲームしていたい。
      何年も会っていないし、本音で話せる貴重な友達だから大事にしたいけれど、友人に対して自分勝手になってきてしまった気がする…。
      「私はあまりいい友人ではない」という感情が芽生えた。

      今思えば、心の余裕がなかっただけのような気もする。
      今でも旅行はちょっと面倒だが、近くで一緒に遊ぶくらいならできそう。

    • 26

      どうしても波長が合わない仕事があった。
      「引き継げる人を見つけにくく、辞めるのは申し訳ない・有名人相手なので今後の人生にプラスになるかも」と続けたが、私に鬱のような症状が出てしまったので辞めた。

      その仕事をしようとしても手が止まってしまう。
      なにも楽しくない・食べたくない、夫とすら会話するのが苦痛…など、精神的に初めてこんなに苦しい思いをした。

      辞めると決めてからは大きなストレス源がひとつ減った気がして心が楽になり、決心して本当によかった。

    • 26

      親から、親がやっている仕事に関連するもので、空きがあるからやってみないかと紹介される。
      家でできて副業OKで収入が安定しているのでやることに(まだ準備中)。

      収入が安定するのは心の余裕にも繋がりそうで、親にも頼りながらできるから安心する気持ち。
      ただ、仕事内容は興味のないものだし苦手な接客も含まれるので、「一生やりたい」とは思わない。

      今はまだ準備中だが、興味のない仕事であまり主体的に行動できていない。
      お金を出してくれたり顔繋ぎをしてくれたりと親がかなりサポートしてくれているが、その気持ちに100%応えられていない気がして申し訳ない。

    • 25

      夫が「きっと気に入るよ」とあるゲームを紹介してくれた。
      グラフィックが苦手で説明を聞いても興味をそそられなかったが、いざやってみるとめちゃくちゃハマった。

      自分から新しいものに手を伸ばすのが苦手なので、こういう経験を忘れずにチャレンジ精神を養いたい。

      このゲームがきっかけで知り合えた人たちもいて、人間関係の輪を広げる一助にもなってくれている。

    • 25

      夫がADHD持ちであることをよく忘れてしまい喧嘩になることが多かった。

      やると言ったことをなかなかやり始めなかったり、約束の時間をすぎてしまったり、部屋をすぐに散らかしたり、「私のために」頑張ってくれないかなと思っていた。
      愛情や意思で解決できると思っていた。

      「彼はこういう脳みその持ち主だから」という考え方ができるようになった。
      意思や愛情と脳みその働きは必ずしも連動しないんだなと学んだ。
      今はADHDを前提に工夫して行動するようにしている。

    • 25

      夫と日本で暮らし始める。
      元彼とは「いかに空気を読み相手に尽くすか」という感じだったが夫はそうした事が苦手で「やってほしいことがあるならきちんと言って」というスタンスで、折り合いをつけるのに苦労した。

      「これくらい察してよ」「なんで私ばっかり」と思う事が多かった(今思えば自分勝手だった)。
      夫に期待しすぎていたというよりは、そもそも期待すること自体が押しつけがましかったというか…。
      結局は「空気を読める私(達)すごい」という満足感みたいなものを味わいたかっただけだったんだと思う。

      人それぞれできること・できないことは違って、できないことができるようになるまでにかかる時間も違う。
      一緒に暮らしていくためにはそれを尊重することが大事という事を学んだ。

    • 24

      Mの国を訪れて、Mと結婚。
      幸いなことに周りも祝福してくれた。
      二人のスキルを合わせて個人事務所を開業。

      やっと自由に生活できるという気持ち。

    • 23

      専門学校に1年通う。
      最初は「一からのスタート」という感覚で頑張って友人を作ったり課題に取り組んでいたりしたが、人に興味が持てずだんだん離れていったり、興味のない授業は出席するだけで精一杯になった。

      やっぱり自分は友達作りが苦手。
      また、物事に本気で取り組めるときとそうでないときの差が激しい。

      専門スキルは身に着いた。

    • 22

      Mが私と会うために日本に来てくれた。
      初めて顔を合わせた。

      会うまではずっと緊張の日々だったが、いざ会って話してみるととてもリラックスできて、二人でいる時間がすごく楽しかった。

    • 22

      Mと付き合い始める(国際遠距離恋愛)。

      インターネットでしか話したことがなかったし(電話が苦手)、国も遠いし言語も違う。
      不安だらけだったけど、人としては本当に尊敬していて良い友達でもあったので、付き合えてとても嬉しかった。

      ここから人生が明るくなる感じ。
      自分史にはこの先ネガティブなイベントも書いているが、基本的にはMがいて毎日幸せを感じている。

    • 21

      彼氏と別れる。

      きっかけをあまり覚えていないのだが、ある瞬間に、彼が私に「元カノ」という理想像を押し付けることが私に対するとんでもない侮辱に思えて、完全に吹っ切れた。
      怒りもあったが、スーッと冷めていく感覚もあった。

      怒りだけは今も残っている気がする。
      ある漫画の「ああ、憎しみで人を殺せたら」というセリフを時々思い出す。

    • 21

      なんとなく見ていたTVドラマで流れたエンディング曲が良すぎて衝撃を覚えた。
      Super Beaverの「予感」という曲だった。

      自分が「こんなふうに生きたい」と思っていた姿勢を言語化してくれたような感覚だった。

      元々音楽に興味がないので1年に1~2回聞き直すくらいだけど、私の人生のテーマ曲のように思っている。
      大好きな曲。

    • 21

      授業を休みすぎて大学を1年留年してしまった。
      お金を出してくれているにもかかわらず親に電話で伝えられず、大事なことなのにラインで報告してしまった。

      自分が情けないし、お金を出してもらっているのに大学の校風が嫌いだったり留年してしまったりと良い大学生活が送れず、ひどく申し訳ない。
      親もがっかりしただろうな。

      今でも留年してしまい恥ずかしい気持ちが強い。

  • 20歳まで

    • 20

      12歳くらいからずっと日記を書き続けていたのだが、彼氏に、隠していた日記を全て読まれる。
      やめてと言ってとりあげようとしても「やましいことがあるんだな」と言われ結局全部読ませてしまった。

      彼氏に対してや自分のあり方で悩んでいる部分もすべて読まれ、「また書いても読まれるのか」と思うとうまく日記が書けなくなった。
      私が苦労している様子を知って彼の態度が変わるかなと期待もしたが、「お前が弱いだけ」とのことで何も変わらなかった。

      今でも当時の日記を読み変えすと胃が痛くなる(ので段ボールの底に封印している)。

    • 20

      なんとなく見つけた星座占いのサイトで、自分の星座の性格・思考・強み弱みその他もろもろがかなり詳細に書いてあった。

      「すごい、まさに私だ!」と思った。
      同時に、自分のことをうまく言葉で表現してくれたような気持ちになり、
      「そうか、私はやっぱり○○が得意なんだ」
      「××が苦手なのは星座的に仕方ないから無理してあがかなくていいんだ」
      と、心がちょっと軽くなった。

      星座占いの信憑性は置いておいて、自分の得意不得意を認めて自信を持ったりいい意味であきらめたりできるようになった。
      他の誰かになるのでなく、自分らしく生きていきたいなと思うようにった。

    • 20

      ネットで知り合った友人M(男)に、彼氏からよくバカだと言われることやいかに自分が情けない性格をしているかをこぼす(相談する)と、具体例を挙げながら全力で否定してくれた。

      今まで「彼氏の感覚=絶対」だったので、新しい視点を教えてもらった感覚だった。
      なにより、私のこと・これからの私の人生のことをたくさんのポジティブな言葉で形容してくれて嬉しかった。

      ※Mとは数年間テキストのやりとりをしていて良い友人だったので絶対手放したくなく、Mの存在を必死で彼氏から隠していた。

    • 20

      就職活動開始。
      企業説明会にスーツを着て行くだけですごくストレスだった。
      就職率に力を入れている大学で、「どこでもいいから就職すべき、できれば大手」という雰囲気が苦手で、卒業後専門学校に通うことに。

      スーツを着ると自分が自分じゃないみたいな気持ちになる。きつくて動きにくいし、心が休まらないよ…。
      こんなものを毎日着て出社するなんて嫌だし、就職活動も嫌だ。
      「在宅でもそれなりに稼げる仕事ができるようになる」ことを目指そう。

      今でもスーツは息苦しくて苦手。
      (思えば中高の制服も苦手だったが、私服登校だったから自分の気持ちに気がつかなかったのかも)

    • 20

      居酒屋バイトを友達に紹介されて始める。
      人と話すのが苦手なのに接客なんて大丈夫かと思ったが、仕事そのものは意外と負担でなかった。
      しかし店長のいじめの対象にされ、なにかと理不尽な理由で怒られていた。

      しんどい、辞めたいと思いつつ「辞めたら負けた気がする」と3年ほど粘った。
      最終的に吹っ切れてありがちな言い訳をしてやめたが、周りも理解があったのかすんなり辞めさせてくれた。
      自分から辞める決断が出来て、開放感がすごかった。

      ※接客が意外と負担でなかったのは、「会話」をする必要がなかったからと、敬語が得意だったからだと思う。

    • 20

      友達A(男)とのラインを彼氏に監視され(スマホは常に監視されていた)、私になりすましてわざとAを怒らせるようなメッセージを送られ、友達関係を断たれた。
      複数の男友達や先輩・後輩相手に同じことをされた。

      Aは本音で話せる大事な友達のひとりで本心はとても悲しかったけれど、抵抗したら「こいつのこと好きなんだ」と嫌味のようにからかわれ続けたりした。
      なにより、彼の指示に従わないと人格否定されたり別れを告げられるかもという不安でいつもいいなりになっていた。

      幸いにも別れたあとに他のSNSでAのアカウントを見つけ謝罪をすることができ、相手も快く許してくれて本当に安心した。

    • 20

      彼氏ができる。
      正直トラウマで思い出したくない。
      とにかく独占欲が強く自分のものさしを他人に強要する人で、「嫌なら別れるぞ」を切り札に、私の友人関係や行動や性格をコントロールしようとした。

      「元カノに負けたくない」の一心で、頑固にしがみついていた。
      彼氏は「元カノは完璧だった」と言い、とにかく彼に好かれるように元カノみたいになれるよう自分を変えようと必死で辛かった。
      よく心の病気にならなかったなと思う(なってたのかな?)。

      完全に縁は切れているのに、今でも時々彼への憎悪を思い出しては嫌な気持ちになる。
      当時の場所や使っていた目覚まし音楽を思い出すと胸が苦しくなる。

      ※彼との交際は彼の都合で周りに秘密で、相談できる人が周りにおらず、家庭でもそういう話はしない雰囲気があり、一人で苦しんでしまった。

    • 18

      サークルが忙しく、スーツを着て企業を回ったりするのも嫌いで、辞めたいと思いながらも私の作業を引き継げる余裕のある人がおらず、嫌々最後まで続けた。
      当時は恋愛でも泥沼で大学の授業を休みがちになった。

      皆同じようにストレスを抱えていて、フェードアウトしていくサークル仲間も多かった。私もできることならそうしたかった。
      でも皆に迷惑になるし学校で顔を合わせたらきっと恥ずかしいと思いできなかった。
      正式に辞めるとしても残された子達の負担を考えると申し訳ない気持ちになってできなかった。

      「自分の心が疲弊していても我慢して続ける」クセがあるんだと身をもって知った。
      それは高校の部活の件で理解していたつもりだったのに同じことを繰り返してしまったので、自覚があまりないんだと思う。
      今この瞬間も同様に何かに対して頑固になっているのかもしれないと思うがピンとこない。

    • 18

      大学進学。
      第一志望にわずかに届かず、「興味のある学科がある」というだけで選んでいた第二志望に入学。
      授業料が高い(我が家は裕福ではなかった)。
      でも図書館は大きくてたくさん本があって好きだった。

      自分が落ちることをきちんと想定していなかった(怖くて想定できていなかった)ため、ショックが大きかった。
      お金持ちでおしゃれ好き、時間やルールにルーズで勉強に興味がないという学生の雰囲気に、高校時代との差が大きく嫌悪感さえ感じた。

      この大学に通ったことは人生の汚点のような気持ちに今でもなる。
      「常にTOPを目指さなくても、落第しない程度の成績をとるだけでもいい」という考え方があることは学んだ。

    • 17

      部活を辞めるとき、同じパートの唯一の同期(もう一人いたが退部した)から手紙をもらい、「最後まで一緒にやってくれてありがとう」と書いてあった。

      ヘタクソでたくさん迷惑をかけてきたので、そんな言葉をもらえるのだとは思っておらず驚いたし、もう一人の同期みたいに辞めなくて良かったと多少嬉しくなった。

      高校の部活の思い出が「最悪な思い出、恥ずかしい思い出」になっていないのはこの手紙のおかげだと思う。

    • 17

      高校3年生、部活で本当にヘタクソで最後の大会にも出られなかった。同学年では出られなかったのは私だけだった。
      母にそう告げた時、本当に情けない気持ちになった。

      中学校でやっていたから続けなければいけない気がするという理由で同じ部活を選んだ。
      3年間、頑張っても上達しないし忙しいし、「早く引退したい」と思いながら過ごしていた。
      退部するのは恥だと思ってできなかった。

    • 15

      高校進学。
      相変わらず少数の友達とずっと一緒にいる。

      進学校だったため皆勉学にとても意欲的で、それでいて学校行事や部活動も全力で楽しむ校風が好きだった。
      皆少なからず真面目で性格が合い、普段あまり話さないクラスメイトともある程度リラックスして関わることができた。

      良い成績を残したことで自信にも繋がったが、プライドも高くなった。

    • 13

      中学もまた小さな学校で、学年全体で仲がよく、いじめ問題などもなかった。
      しかし友達を作るのは苦手で、気の合う少数の友人とのみ時間を過ごした。

      気の合う子と話したり遊ぶのはとても楽しく自然体でいられたが、ほかの子とは無言になってしまうことが多く、「私といても楽しくないでしょ」と感じていた。
      学年全体で仲の良い雰囲気があり、私には「無理して仲良さそうに振舞わなければいけない」感じがあった。

      「気の置けない少数の友人さえいればいいや」と思い始めた時期かもしれない。
      今でも、関わっていく延長で仲良くなるのは良いが、強いてこれ以上友達がほしいと思うことがない。

    • 12

      母が「FRIENDS」という海外ドラマを見ており、一緒に見るようになった。
      めちゃくちゃハマって、その後何年も繰り返し見ることになる。

      ドラマの内容そのものものんびりしていて好きだし、昔の自分や家族の空気をなんとなく思い出せて平和な気持ちになる。

      大人になった今でも、元気が出ないときに見たりしている。
      このドラマのおかげで得意になった英語が、大学や職業を考えるときの軸にもなった。
      現在の夫と出会えたのも、英語が好きだからだった。

    • 12

      小さい頃から家族でよく海外旅行に行っていた。
      親が、私が小学校最後の学年だから今のうちに「最後の家族旅行」に行こうと言い、親は海外に行きたがっていたが、言葉が通じないのが怖くて国内にしてもらった。

      どうせ自分は12歳で外国人と話すわけでもないのに、「言葉が通じないのが怖いから」という理由だけで、親の行きたかったであろう海外に行かせてあげられなかったのが、情けないというか臆病すぎるというか…。

      10年後くらいに再び家族で海外に小旅行に行けたので、わりと罪悪感は薄れた。
      でも今でも妙に、新しいことや自信のないことに対して必要以上に臆病な面はある。

  • 10歳まで

    • 7

      家では自然体で時に強気にふるまっていたが、小学校ではとてもおとなしかった。
      無口で、何か言われたらとりあえず笑って返していた。
      小さな学校で学年の垣根を越えて仲がよく、幸いいじめ問題などはなかった。

      リアクションを返したり自分の感情を表現するのが苦手で、とりあえず笑っておけばやり過ごせるだろうという気持ちだった。
      職員会議で私の無口が議題になったと聞いたり、友達から「よく笑うよね」と言われたときショックだった(笑うしかできない、と言われた気がして)。

      まともな反応を返したり話をしたりできるようにはなったが、今でも「人と話すのが苦手、好きじゃない、できれば避けたい」という気持ちがある(でもメールなど、テキストのやりとりはゆっくり返信を考えられてむしろ好き)。

    • 6

      両親がよく喧嘩しており、お互い必要時以外はあまり口をきかず、一緒の部屋にいるのを避けたりしていた。
      子どもを巻き込むようなことはなく、むしろ二人とも子どもには優しく世話焼きだった。

      一時は離婚届を出す・出さないの話にまでなり、幼い弟はぽかんとしていて「私しか止められる人がいない」と感じ、必死に泣いて止めようとしていた。
      仲が悪いくせに外面は良い両親に、恥ずかしさや情けなさのようなものを感じてきた。

      私自身家を離れていた期間が長かったので(17歳から現在まで。)詳細は不明だが、ここ数年で両親が冗談を言い合う程度には仲良くなっており、嬉しい反面妙な気持ち。

    • 4

      亡くなる直前の祖父が、入院しているベッドから手を伸ばして私の名前を呼んでいたのに、「病気がうつりそうで怖い」と思って、最後に手を繋いであげられなかった。

      その時の気持ちを今言葉にして書いてしまうのは辛い

      今でも思い出して「おじいちゃんごめんなさい」と思う。

※ プライバシー保護のため、ご質問の一部を編集部で変更している場合がございます。

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