『嫌われる勇気』の大ヒットを受けて、「アドラー心理学」はかなり有名になったよね。
アドラー心理学はその名の通り、オーストリア出身の精神科医であるアルフレッド・アドラーによって創始された心理学体系なんだ。
アドラーはフロイトやユングと肩を並べて「心理学の三大巨匠」と呼ばれることがあるよ。ただ、アドラーの心理学が他の2人と違うのは、「過去ではなく、未来を重視する」点なんだ。やる気が出たり人生が上向くヒントも詰まってるよ。
そんな魅力的なアドラー心理学。「『嫌われる勇気』が良かったから、アドラーがどんな考えをしていたのかもっと勉強したい」って思った人も多いんじゃないかな。実際、アドラー心理学関連の本はたくさん出ているよね。
ただアドラー人気にあやかろうと、本人が言ってないことも「アドラーが言ったこと」とされていたりするんだ。この記事ではアドラー著作の出典付きで、短いアドラーの名言を紹介するね。
目次
アドラーの名言7選
劣等感はある方がいい
すべての人は劣等感を持っている。しかし、劣等感は病気ではない。むしろ、健康で正常な努力と成長への刺激である
(『個人心理学講義』より1)
アドラー心理学は人間の強さに注目する心理学なんだ。アドラーは「潜在的に困難に立ち向かう力があるのだから、人は劣等感を克服できる」と信じていたんだろうね。
アドラーが劣等感とその克服に注目したのにはいくつかの背景があるんだ。アドラー自身が「くる病」を患っていたけどそれを克服したことや、苦手な数学を得意科目に変えたこともそうだね。
でも特に影響を受けたのは、アドラーが診察していた患者さんたちなんだ。
同時代に活躍していた精神分析の創始者である精神科医フロイトが上流階級にいる人たちを診察していたのに対し、アドラーはユダヤ人が多い中下層階級の地域で開業していたので、裕福ではない患者も多かったんだそう。
そんな患者の中でも、アドラーの診療所には芸人が多く来院したんだって。診療所の近くに遊園地があったから、そこで雇われていた人たちだね。空中ブランコをしたり、怪力自慢の人たちだったみたい。
そんな彼らの身体をよく観察したり過去の話を聞いていく中で、アドラーは「生まれつき虚弱であったにもかかわらず、芸を磨くことでその劣等感を克服した経験をしている患者が多い」ことに気づいたんだ。
このように、劣っている事柄を持って生まれたとしても、そこで「どうしようもない」と諦めてしまわなければ、劣っている事柄こそが成長へのエネルギーとなり、人を高いところまで連れて行ってくれるんだね。
劣等感を成長のエネルギーにするには、「劣等感を感じている」のをまずは受け入れることが重要だよ。劣等感は誰にでも絶対にあるもの。なのにそれを否定するとかえって心は不健康な状態になってしまうんだ。これをアドラーは「劣等コンプレックス」と呼んだよ。
劣等感とどう向き合っていけばいいかは下の記事でまとめているからぜひ読んでみてね。
歩もト金になる
大切なことは何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかだ
(『人はなぜ神経症になるのか』より2)
アドラーはないものを嘆くより、すでに持っているものをどう活かすかを考える方が幸せになれると考えていたんだ。手持ちのカードでどう勝負するか、ということだね。
このように言われると「マッチョな思考で苦手」と感じる人もいるかもしれないね。けど、ないものはいつまでたってもないのも事実。「今あたえられているものに出来るだけ注目するようにしてみよう」くらいに思えたら、少し心の余裕が生まれるかもしれないね。
運動が苦手なら勉強や芸術に打ち込んでもいいし、コミュニケーションが苦手なら伝統工芸の担い手になってもいいかもしれない。もちろん、苦手なことを伸ばす努力をしたってかまわないんだ。
「ないもの」を見つめても何も見えてこないけど、「今あたえられているもの」をみたら何か新しいものが見えてくるかもしれないね。使えないと思っていた手持ちの歩の駒だって、クルっとひっくり返して使えばト金になって大活躍できるんだ。
過去と他人は変えられない
アドラー心理学は未来志向の心理学なんだ。当時はとても画期的な考え方だったんだよ。
というのも、当時は「抑圧された過去のトラウマが神経症の原因」と考える精神分析が隆盛を極めていたからなんだ。
人間は過去の経験に今が拘束される存在ではなく、「今ここ」から始めるチャンスが誰しもに平等に与えられているんだ。過去は変えられないけど、今から先のことなら変えられるよ。
もちろん、人それぞれ元々持っている「今ここ」を変える力も違うし、変えるだけの条件がそろっていないこともあるよね。そんなときは他人の力を借りることがあってもいいんだ。
アドラーは「共同体感覚」を重視する心理学でもあるよ。共同体感覚とはとても簡単に言うと「仲間意識」のことだね。他人は自分の敵ではなく、みんな等しく不完全を乗り越えようとただ努力している仲間なんだ、という発想だよ。
「他人」そのものは変わらなくても、「他人は仲間だ」との視点へ自分の発想を変えることはできるんだ。視点を変えて協力を仰ぐ行動を選択できれば、「自分」の「今ここ」から先のことはどんどん変化していくよ。
幸せは人とのつながりにある
人生は、仲間に関心を持ち、全体の一部であり、人類の幸福に貢献することである
(『人生の意味の心理学〈上〉』より3)
アドラー心理学では、人とのつながりこそが幸福であると考えるんだ。
人間はどうしても他人と自分を比べてしまうよね。劣等感はこの比較から生まれる感情なんだ。「すべての人は劣等感を持っている」のは、どうしたって他人と比べてしまうことの証左だよね。
けど、だからといって人とのつながり、つまり「共同体感覚」を忘れていい理由にはならないと考えるのがアドラー心理学だよ。
アドラーは「共同体感覚は、生まれつきのものではなく、意識的に発達させなければならない先天的な可能性(人はなぜ神経症になるのか2)」と述べていて、つどつど「共同体感覚」「他人は仲間」といったことを振り返る必要があると考えているみたい。
仏教では諸法無我(すべてはつながりあっていて、個として独立しているものは一つもない)といった考え方があるけど、アドラー心理学でもそれに近い考え方をするんだね。それくらい、アドラー心理学では人と人とのつながりを重視するんだ。アドラー心理学の正式名称はindividual psychologyで直訳すると「個人心理学」となるんだけど、この訳だと「つながりを重視する」ニュアンスが伝わらないので、日本では個人心理学と言わずにアドラー心理学と呼ばれるんだね。
対人関係は毒にも薬にもなる
究極的には、我々の人生において対人関係以外の問題はないように見える
(『人生の意味の心理学〈下〉』より4)
アドラー心理学では幸福の理由が対人関係ならば、不幸の理由も対人関係であると考えるんだ。
そのことを端的に言い表したのが先述のフレーズだよ。「アドラー心理学は対人関係の心理学である」ことを説明するときによく引用されるから、読んだことがある人も多いかもしれないね。
「いやいや、人生の悩みランキングの上位は『健康』のことと『お金』のことでしょ。対人関係関係ないじゃん」と思った人もいるんじゃないかな。でも、やっぱりそれも「究極的には」対人関係の問題なんだ。
健康の問題も、例えば「良い医者に巡り合えないから受診を渋っている」「民間療法を勧めてくる人があまりにも自信満々だったから騙された…」など必ずそこに何かしらの対人関係が関与しているものなんだ。
お金のことも「恥ずかしくて人に相談できない」「コミュニケーション上手じゃないから仕事で成果が出なくて思うように稼げない」など、こちらも対人関係の問題として理解可能だよ。
こんな風に、何かしらの悩みを抱えているときは「対人関係上のどんな問題が、この悩みにつながっているんだろう?」と考えるクセをつけると、意外なところから解決の糸口が掴めることがあるんだ。
人生のオールは自分が持っている
私たちは自分で人生を作っていかなければならない。それは私たち自身の課題であり、それを行うことができる。私たちは自分自身の行動の主人である。
(『人生の意味の心理学〈上〉』より3)
アドラー心理学の哲学である「基本前提」の中に「主体論」があるんだ。主体論とは「何事も自分で決めることができる」との考えのことだよ。人間は無意識や条件反射に従属する存在ではなく、自由意志を持った尊重すべき個人なんだね。
「当たり前のことを言っているな」と思った人と、「めっちゃ厳しいこと言うやん」と思った人とで半分半分に分かれるかもしれないね。「今人生で起きていることは全て自分が選択した結果である」と言えるからだよ。
厳しいと感じた人は、今あまり幸せな状態にいないのかもしれないね。そしてそんな不幸を「自分のせい」と言われたような感じがして悲しくなったのかもしれない。
これは極めて個人的な意見だけど、アドラー心理学は自分の人生に役立つように、自由に使い方をアレンジしていいと思うんだ。
人生は確かに自分のものだけど他人との相互作用によってなりたっているよね。だから、必ずしもすべてが「自分で決められる」ものではないと思うんだ。不慮の事故などはその典型だね。
アドラーもさすがに「不慮の事故も自分の人生の結果です」とは言わないと思うし、事故に遭ったことで陥る悲しみやショックも致し方がないことと理解してくれるはずだよ。不幸が襲ったときくらいは「主体論」は無視していいんだ。
けど、一度事故に巻き込まれたら二度と人生を再起できないかといわれれば、必ずしもそんなことはないよね。アドラー心理学はそんなときこそ有用で「信じられないかもしれないけど、あなたにはそこから立ち上がるだけの力があるのです」と背中を押してくれるんだ。
アドラー心理学は「使用の心理学」と言われることもあって「役に立ってなんぼ」との発想があるよ。主体論がきついなと感じるときはアドラー心理学を無視して、勇気が欲しいなと思うときにまたアドラー心理学に戻ってくる。そんな使い方をしてみてね。
アドラーの助言
誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく
(『人生の意味の心理学〈下〉』より4)
テイクする人ではなく、ギブする人になろうとの呼びかけだね。ギブをアドラー心理学流に表現すると「共同体感覚の育成」で、具体的には「他人の関心に関心を寄せる」ことや「他人に貢献する」こと、「他人を信頼する」ことなどになるかな。
確かに率先してギブする人になるのって不安だよね。褒めてもらえないかもしれないし、感謝されないかもしれない。「偽善者」とけなされることすらあるかもしれないから。
けど聖書にも「受けるよりは与える方が幸いである」とのイエスの言葉が載っているし、昨今の研究でも自分のために何かをするよりも、他人のために何かをする方が幸せになれることがわかっているんだ。
例えば、ブリティッシュコロンビア大学の研究5では、高血圧の高齢者を2つのグループに分け、片方のグループには自分のために、もう片方は寄付や友人へのプレゼントを買うなどの用途でお金を使うよう指示したところ、他人のためにお金を使ったグループの血圧が低下するという結果が出ているんだ。
また、イェール大学医学部精神科のアンセル氏らが行った研究6によれば、人助けを行った人ほど幸福感が高いことがわかっているよ。
ペンシルベニア大学の組織心理学者であるアダム・グランド7は「ギバー(率先してギブする人)ほど成功する」ことを突き止めていたりもするね。
「あなたが始めるべき」の根拠は、実はこんなにたくさんあるんだ。ギブは本当に些細なことでもいいんだよ。コンビニで受け取ったお釣りの一部を募金するとか、脱ぎ散らかった靴を履きやすいようにそろえてあげたりとか。そんなところから始めてみてもいいかもしれないね。
未来志向のアドラー名言まとめ
アドラーの名言をいくつかピックアップして解説していったよ。
アドラー心理学は、対人関係を重視し、未来志向で、人の強さや主体性に着目する心理学であることがよくわかるね。出典も明らかにしたうえで解説しているので、気になる文章を見つけたら、ぜひ実際に本を手に取ってみて読んでみてほしいな。
ちなみに、『人生の意味の心理学』は上下巻がセットになった新装版が最近出たみたいだから、興味ある人は新装版の方を手に取る方がいいかも。
簡単にアドラー心理学の基本を知りたい人にはこちらの記事もオススメ。ぜひ読んでみてね。