「自信を持つべき病」だった私が「本当の自信」に気づくまで

心理学 2020/04/10
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「自信を持つことが大切だ」と耳にタコができるほど当たり前に言われる毎日。本屋にあふれる「成功者が実践する自信を持つ方法」だとか「自信を持つだけでこんなに変われた」だとかいうコピー。

私は仕事柄、自己啓発書を含め本をよく読むほうですが、それでも「自信を持て」とのどこの誰とも知らない声に耳をふさいでしまいたくなることがあります。

昔から負けず嫌いな性分な私は、受験競争で負けては自信をなくし、出世競争で同期や先輩に勝っては安心していました。

「競争で負けるなんて本当に『負け組』だ」。

心の底からそう信じ、勝った負けたで一喜一憂する生活。

けれどもそうした外からの評価に依存する「自信」はとてももろく、過労で体調を崩して退職を余儀なくされたときにあっけなく崩れ去っていきました。

「こんな生き方では心身がもたない」。体を布団に埋めたまま、鈍くなった頭で考えられたのはそれだけ。体力面でも精神面でも劣っているのを隠しながら(実際、隠せていないのですが)働いてきた数年間の代償は大きいもので、そこから私は「自信ってなんだろう」と考えるようになりました。

本当に、自信ってなんだろう。

いつから私たちは自信を持たなければいけなくなったんだろう

世間が何かと「自信を持て」と言うようになったのはいつ頃からでしょうか。個人的には、SNSがこの「自信を持て」との風潮に拍車をかけているように感じます。私は瞬間的には意識高い系になるものの基本的には怠け者なのでこの風潮が怖いです。

10年前にはまだ、今ほど自信を持つことを強要する風潮はなかったように思います。当時は大学生で、競争社会というものをほとんど知らずにのうのうと過ごしていたから単にそう感じるだけなのかもしれません。あるいは小学生の頃から掲示板やらブログやらに親しみ、匿名で「半年ROMってろ」なインターネットにずっと隠れていたから、そうした社会を意図的に避けていただけなのかもしれません。

私たちはSNSに毒されて「生きづらい」?

私が大学に入学した頃からSNSが爆発的に普及し、たくさんの人が「個人」として発信するようになりました。今までは一生知ることのなかった小さな成功者や成功者になろうとする人たちの言葉が世の中にぶわあああっとあふれて、何者かになりたい人たちがそれをありがたがる。フォロワー数が多いんだからこの人はすごいんだ、との錯覚におちいってしまう。そんな光景を見てやっぱり私は怖いと感じました。よくわからないけど怖い。

成功者が我が後に続けと言わんばかりに自信を持てと口にするのも、それを周囲がありがたがるのも悪いことではありません。ただ、SNSで広がる言葉たちが、人々を「自信を持つべき病」へと追いやっている気がするんです。

SNSで積極的に自身の仕事や信念などを発信できる人はみんな自信を持っているように見えます。そうした人は今までの経験などで培った自信によって自分が支えられている自覚があるから、得てして「自信を持たなければ成功できない」と口にする気がします。思えば私が働いていた会社の社長もよく言っていました。

実際、何かしら実績のある人がそう言えば説得力があります。けれど、ボタン一つのリツイートやシェアでその一言がひっくり返したミルクのように広がっていくのを見ていると、「わかっちゃいるけど、ちがうんだよ」と言いたくなってしまうんです。

「自信を持て」との投稿を見た人は「自信を持たなきゃダメなんだ」と思い込んでしまう。自信がない人であればあるほど「自信を持つべき病」に押しつぶされていく。

もちろん、SNSが直接の原因ではないと思います。背景には長引く不況や成果主義へのシフトなどがあって、個人が社会を生き延びるためのスキルの一つとして今まで以上に「自信」が必要になってきたのだろうなあ、と頭ではわかっています。

それでも、発信される情報が正しいのか正しくないのかはさておき、SNSを多くの人が使うようになればなるほど「声の大きい人が勝ってしまう」社会になったように感じてしまうんです。「だから声の小さい人、自信のない私みたいな人はますます生きづらくなっているのかな……」と落ち込んでいました。

「自信がなくても人は死なない」という気づき

自信をつける方法について、本やインターネットにはさまざまな情報があふれています。成功体験を積む、セラピーを受けて過去の自分を振り返り許してあげるなど……。

けれど、そうしたことは自信のない人にとってはハードルが高い。「それができたら苦労せんわ」と何度本にツッコミを入れたことか。

でも、よく考えると自信って本当に必要なのか? 自信がないと何もできないってことはないよね?

と、私は数年前の休職中のある日に気づいたのです。ジイジイとひっきりなしに鳴っていたセミの声も頭のズーンとした重さもどこかへ行き、「自信がなくても生きていける」という気づきだけが胸の中にすっこんと落ちて残りました。もちろん、よいアイデアを生んだり一歩先の行動力の助けになったりすることはあるけれど、自信がないから生きていけないことはない。自信がなくても、それが直接の原因で人は死なない。

そんな当たり前のことに気づき「死なないなら、まあ自信がなくてもいいか」と開き直るとなーんかすべてがどうでもよくなってしまいました。なんなんだ今までの苦労は。

人と比べ、競争することから降りる

自信がない私が次に始めたことは「自信がない」自分を認めてあげることでした。自信がなくてもいいんだ、自信がなくても生きていけるんだからまずは体の力を抜こうと。とにかくダラダラする。これからのことは元気になったら考えるとしてこれ以上ないくらいに自分を甘やかし、十分に休まったところで自問してみました。

「自分は何と戦っているんだろう?」

私の自信のなさは人と比べることで起きていました。自分で勝手に敵を作って戦っていただけでした。

受験、就職、キャリア、年収、結婚、妊娠、育児など、人生における人と比べる機会を挙げればきりがない。普通に考えれば比べなくてもいいことまで比べていたような……。そのためにしなくていい苦労までしたような気がします。

本当は自分の人生をよりよくするために成功したかったはずなのに、人と比べることで自信を失い、何も気力がわかない状態になっては本末転倒すぎる。

そこで思い切って、「えいっ」と人との競争から降りてみると、肩こりと頭痛がなくなりました(医学的根拠はありませんが、そう感じました)。別にキャリアやら何やらをあきらめたわけではなく、「他人との競争」から「自分の中のゴールを見つけて進むこと」へスイッチを切り替えただけ。本当にたったそれだけのことで、私はとても楽になったんです。

自信とは「自信がない」自分を認め、未来の自分を信じられる力

自信とは、外部からの評価によって得られるものではなく内側からわいてくる自分を信じる力のことだとと思います。だから「自信がない」自分を認めて信じてあげることも立派な自信。

失敗したからダメじゃない。人と同じことができないから終わりじゃない。失敗しても人と同じようにできなくても、そんな自分を認めて「それでも何ができるだろうか?」と未来の自分を信じられる力を、本当の自信と呼ぶんだと思います。

 

written by せの

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